セラフィーヌの庭

b0041912_0303117.jpg  去年のセザール賞で、各メディアの予想をみごとに裏切り、7部門を総なめ受賞した「セラフィーヌの庭」。今のフランス映画界の常套手段になっているテレビ局とのタイアップもなく、少ない予算で製作された地味な作品ながら、じわじわと口コミで人気を呼んでロングランとなった佳作で、実話を元にしています。

 幼い時に孤児となったセラフィーヌ(ヨランダ・モロー)は、パリ近郊の田舎町サンリスで家政婦をしながら絵を描いています。人との交流を避けるセラフィーヌは口数少なく、自然の中で花や木々の声に耳をすますことが唯一の楽しみ。
 昼間は黙々と働き、一人暮らしの狭い部屋に戻ると一心に絵に向かうセラフィーヌ。40歳を過ぎてから、ある日突然、神から絵を描くようにとの啓示を受けて以来、かつかつの生活の中でひたすら絵を描いて来ました。
 1912年、サンリスにやって来たドイツの画商ヴィルヘルム・ウーデ(ウルリッヒ・トゥクール)は、偶然セラフィーヌの絵を目にしてその才能を見抜き、彼女を激励します。ウーデの支援を得て、セラフィーヌは絵の製作に専念しますが、折しも第一次大戦が勃発。ウーデはドイツに帰ってしまい、セラフィーヌとは10年以上音信不通に。
 1927年、13年ぶりにサンリスに戻ったウーデは、セラフィーヌが絵を描き続けているのを知って喜び、作品を買い上げて、パリで個展を開くこと約束します。既にセラフィーヌ63歳。
 若い時から働きづめで切り詰めた生活を送って来たセラフィーヌですが、絵が売れ始めると堰を切ったようにお金を使い始めます。次々に物を買い込み、不動産屋に立派な一戸建てを斡旋させ、ウェディングドレスを特注し、と買い物がエスカレートした頃、ウーデ兄妹が沈痛な顔で告げます。世界恐慌のために、もはや絵画の買い手はいなくなってしまったと。
 しかし、情報メディアとは無縁の生活を送るセラフィーヌには、経済状況もウーデの窮地も理解できず、パリでの個展が実現不可能になったことに打ちのめされるのでした。

 前半はセリフを抑え、自閉的なセラフィーヌの素朴な生活を映像だけで淡々と綴ります。仕事先と自宅の往復の中で、豊かな自然といったいになるかのように花と語り、鳥のさえずりに耳を傾け、草木と交信するセラフィーヌ。
 絵の具も草花から色を作り出し、独学自己流で友達のような花や草木を鮮やかな色彩で描いてゆきます。
 人と殆ど口をきかないセラフィーヌが、涙を浮かべて沈み込むウーデを見かけ、思い切って声をかけるシーンが深く印象に残ります。「悲しいときはね、ムッシュウ、野原に出て花を眺めたり鳥の声に耳を傾けるのよ。そうすると、必ずいつの間にか悲しみが消え去って行くから。本当だからね」早くから孤児となって苦労を重ねたセラフィーヌの言葉ゆえに胸に沁みるセリフです。
 物欲とは無縁のつましい生活を送って来た彼女が、絵の評価が高まったとたん、これまで夢見るだけだった別世界を全部手に入れたいがごとく、いっきに物を買いまくる姿が切ないが、これはどういう現象でしょう?純真無垢で社会性も社交性もない生き方と突然顕著になる物欲や誇大妄想とのギャップにとまどいますが、もしかして、この二つはまさか表裏一体なのでしょうか?
 仏語では天啓(霊感)を受ける人と幻影(妄想)を見る人は同じ単語(visionnaire)なので、世界大戦や世界恐慌という時代状況に翻弄されたにせよ、元はと言えばジャンヌ・ダルクのように天から啓示を受けて絵筆を取り、一心不乱に作品制作にのめり込んだセラフィーヌのたどる道は避けられないものだったのかも知れません。
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by cheznono | 2010-08-27 00:31 | 映画