神々と男たち
2011年 03月 07日1996年、アルジェリアの山あいにある修道院で、8人のフランス人修道士が、祈祷と瞑想、そして労働や奉仕を日課とし、イスラム教徒の地元の人たちにも頼りにされながら、静かに暮らしていました。
しかし、内戦化したアルジェリアでは、イスラム武装集団が次々にテロを行い、修道院のある村にも物騒な空気が漂い始めます。
双方が多大な犠牲を払って、1962年にフランスから悲願の独立を果たしたアルジェリアですが、一党独裁による締め付けが続いたため、国中に貧困がはびこり、政治や社会に向けて積もった不満が、イスラム原理主義を掲げる武装集団を過激化させて行ったという背景があります。
軍の弾圧に抵抗するイスラム武装集団は、知識人や外国人をテロの標的に選んだため、修道士達の身にも危険が迫るという緊張した状況に、アルジェリア政府からは帰国を勧告されます。
やはりフランスへ帰るべきだと意思表明する修道士。帰国すべきか留まるべきかを自問する修道士。迷わずに淡々と日課をこなす老修道士。
彼らのまとめ役である修道院長のクリスチャン(ランベール・ウィルソン)も、果たして任務半ばで発つべきか、それとも危険を覚悟で残るべきかの選択に逡巡し、容易に結論を出すことができません。
旧宗主国フランス出身のカトリック修道士は、イスラム武装集団の恰好の標的になりかねないため、いよいよフランス政府からも帰国命令が下され、クリスチャンの迷いは深まるばかり。。
しかし、これまで何かと修道士達に助けれて来た貧しい村人らは、修道士に残ってほしいと頼むのでした。
質素、禁欲、献身をモットーにするシトー会の修道士達が、命の危険を前に、信仰や自らに課した使命と身の安全の確保との間で迷う人間的な姿、ジレンマの後に全員が下した決断、そして、悲劇的な結末が、観終わった後に深い余韻と悲しみを残します。
グザヴィエ・ボーヴォワ監督は、自己中心的な消費社会において、イスラム教徒にも心を開いて手を差し伸べた修道士達の生き方に魅了されたと語っていますが、私もこの映画の鑑賞直後は、普段のゆるーい生活をとても恥ずかしく思ったものでした。
お祈りの際に修道士達が歌う聖歌を吹き替えにせず、俳優達が自ら歌っている点も素晴らしい。カトリック国とはいえ、フランス人でも修道士達の日常に触れる機会は稀らしく、この映画で彼らの共同生活の様子を具体的に知った人が多いとか。
15年前に起きた修道士誘拐・殺害事件は、今なお多くの謎に包まれたまま。複雑な政治的背景があるようですが、折りしも北アフリカ諸国の革命があちこちの独裁政権を揺さぶっている今、この事件の真相が解明されることを願ってやみません。