ルイ16世の妹、悲劇のプリンセス:エリザベート展

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 マリーアントワネットが処刑前夜に子供達を頼むという遺書を書き残した9つ年下の義理の妹エリザベート・ド・フランス。悲しいことにその手紙は義妹や娘のマリー・ルイーズ(マダム・ロワイヤル)に読まれることはありませんでしたが、天使のような人柄だったというエリザベートには以前から関心がありました。
 今やフランスでも過去に埋もれ忘れられた人物像の一人に数えられるそのエリザベート姫をテーマにした初めての展示会がヴェルサイユで開かれています。

 場所は宮殿からほど近いマダム・エリザベートの館。ネオクラシック風の屋敷の中は思いのほかシンプルで、ヴェルサイユの華やかさに比べると質素と言えるくらい。人懐こい反面、宮廷でのディナーや派手な遊びを好まなかったエリザベートの人柄が彷彿とされる佇まいでした。
 華美なドレスや宝飾品に国家予算をつぎ込んだと批判されたマリーアントワネットとは対照的に、おしゃれに関心を示さなかったというエリザベート姫の地味ながら品のあるドレスも展示されています。

 エリザベートは19歳のお祝いに兄ルイ16世からプレゼントされたこの屋敷と領地をいたく気に入りましたが、兄王から25歳(成人とみなされる年)になるまではこの屋敷に泊まることや男性客を呼ぶことを禁じられため、毎日宮殿から馬でこの屋敷を訪れては、庭の手入れや田舎風の暮らしを楽しんだそうです。
 信心深く思いやりがあり慈愛に満ちていたというエリザベート。領地内で収穫された作物やミルクを貧しい農民や孤児、病人達に配ったりと何かと世話を焼いたので、地元の人々からも慕われていました。

 彼女が結婚しなかったのは、兄王一家のそばを離れたくなかったからと、当時エリザベートに見合う外国の王子が見あたらず(求婚者が現れなかった)、唯一の候補がマリーアントワネットの兄でオーストリア皇帝のヨーゼフ2世でしたが、既に妻二人に先立たれた皇帝とは親子ほどの年の差だったため、彼女はこの縁談を渋り、フランスにとどまらせてほしいと兄王に懇願します。
ちなみにエリザベートは、信仰深い王女が任命されることの多かった修道院長の職も断っています。

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 しかし、25歳を迎えた年にフランス革命が勃発、エリザベートはこの屋敷に暮らすことなく、兄夫婦と共にヴェルサイユからパリに連行され、チュルリー宮に軟禁されることに。
革命を恐れた兄のプロヴァンス伯やアルトワ伯がそれぞれ亡命し、幼い頃から多大な影響を受けた叔母たちもイタリアに亡命。兄や叔母たちと一緒にいくらでも国外逃亡する機会があったエリザベートでしたが、彼らを援助こそすれ、自らはルイ16世一家と行動を共にすることを選択。
心底兄を慕っていたのと責任感から兄夫婦の元にとどまることを決意した強い意思の持ち主だったと推察されます。
 そして、エリザベートは亡命先のアルトワ伯と頻繁に連絡を取って、王制維持とルイ16世救出の機会を探ったようです。

 14、5歳でお嫁に行くのが普通だった時代に25歳で成人というのは何とも遅い感じですが、ブルボン王朝のプリンセスから突如フランス革命の怒濤に巻き込まれ、生死に関わる選択を決心するには充分に若過ぎる年齢でしょう。
 エリザベートはチュルリー宮からヴァレンヌ逃亡の際にも兄一家に同行し、逃避行失敗後はテンプル塔に監禁されて、マリーアントワネット処刑の翌年1794年5月に革命法廷を経て、ギロチン台に送られます。享年30歳でした。

 屋敷内ではエリザベートに関連ある品々を、そに奥にあるオランジェリーでは、エリザベートの生涯を紹介しているこの展示会は7月21日まで。嬉しいことに入場無料です。
http://elisabeth.yvelines.fr/
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by cheznono | 2013-06-18 14:35 | 不思議の国フランス