セヴィニエ夫人

b0041912_0504080.jpg レ・ゾリヴァードが特に力を入れた生地の中に、セヴィニエ侯爵夫人の時代を復活させたプリントがあります。マリー・ド・セヴィニエは、「クレーブの奥方」の作者ラ・ファイエット伯爵夫人とも親しく、プロヴァンスのグリニャン伯爵に嫁いだ娘に宛てた手紙が後に本となったため、書簡文学の先駆者と言われたマダムです。
 幼くして両親と死別したマリーはでも充分な教養を身につけ、18歳でハンサムだけど浮気なセヴィニエ侯爵と結婚、二人の子供に恵まれました。が、喧嘩っ早い夫は決闘で倒れ、マリーは25歳で未亡人となってしまいます。この時代の貴族にしては珍しく、その後は再婚せずに、子供への深い愛情と社交界での生活を選んだようです。
 当時フランス一の美女と呼ばれた長女が結婚し、グリニャン伯爵夫人としてプロヴァンスへ向かうとマリーは寂しさに耐え切れず、週に2,3通の頻度で手紙を娘に書き送り、その合計は1500通を超えました。娘だけでなく息子やいとこ達にもマメに手紙を出し、近況や宮廷での出来事を報告しています。今ではその内容がベルサイユ宮殿での日常などルイ14世時代の貴族の生活を知る情報の宝庫となっています。娘のために美しい布地を探すというような母らしい心遣いも随所に見られるし、コンデ大公がシャンティ城でルイ14世ら500人を招いて一世一代の大宴会を催した時、金曜日のメニューの魚の到着が遅れたために責任を取って自殺した料理長ヴァテールのエピソードも、招待客の一人だった彼女が娘に書いた手紙によって後世に伝えられました。
 最愛の娘の住むグリニャン城にも何度か通い、最後もこの城で迎えました。城内には今もセヴィニエ夫人の部屋が残されています。マリーは教育ママで、特に娘を溺愛し過ぎたとも言われていますが、教養が高く芝居やコンサートに通い、太陽王ルイ14世の社交界を楽しみ、あちこちの城を行き来し、その傍らひたすら手紙を書きまくったというエネルギーには感服します。個性的でとても魅力のある現代的な感覚の持ち主で、当時としては新しいタイプの美女だったのではないかと思うのです。
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by cheznono | 2005-05-17 01:47 | 不思議の国フランス