カルカッソンヌの悲劇

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  「キングダム・オブ・ヘブン」で見た悲惨な攻防戦は、この頃同じように城塞都市カルカッソンヌにろう城し、アルビジョワ十字軍に滅ぼされたカタリ派(アルビジョワ派)の悲劇に重ね合わせずにはいられません。13世紀の頃、ローマ法王庁を中心としたカトリックの聖職者達はかなり堕落した生活を送っていたようです。対して、キリスト教の異端とされたカタリ派は禁欲的な戒律を守り、輪廻を説きベジタリアンで穏健な宗派だったため南フランスで信者を増やし、その信仰はアルビやトゥールーズからニーム辺りまで広がって行きました。
 カタリ派の影響に恐れを感じたローマ法王は、アルビジョワ十字軍を南仏に派遣してカタリ派撲滅を図ります。当時、南フランス王のような権力を持っていたトゥールーズ伯爵の家臣、24歳のトランカヴェル子爵はカタリ派を擁護して、“難攻不落”の城塞カルカッソンヌにろう城するはめになりました。しかし、押し寄せるアルビジョワ十字軍の猛攻撃には勝てず、城塞内で2週間立てこもった後、若き子爵がだまし討ちのような形で捕えられてしまったためカルカッソンヌは降伏、住民も多数犠牲になってしまいます。
 もともとプロヴァンス地方を初め、南フランスは豊かな土地柄で産業も発展していたため、イタリアやスペイン、サラセン人などあちこちから狙われていました。十字軍のカタリ派攻撃も、名目はカトリックの異端を成敗するということでしたが、実際は南仏のあちこちに広大な領地を所有して繁栄していたトゥールーズ゙伯爵やトランカヴェル家の豊かさが、ローマ法王の嫉妬と不興を買ったと言われています。結局アルビジョワ十字軍は、100万人もの犠牲者を出してカタリ派の信者を根こそぎ全滅させてしまいました。が、今でも南仏にプロテスタント信者が多いのはこのカタリ派の精神を引き継いでいるからだそうです。
 カルカッソンヌの城壁の上に立って、遠くピレネー山脈へ続く景色を見下ろしても、中世の悲劇は想像できないほど穏やかな風景が広がるばかり。しかもシーズン中は狭い城塞内が観光客で埋め尽くされるからとても賑やかです。でも人気の少ない季節には、立ち並ぶ塔の間を絶えず吹きすさぶミストラルのような風に何となく物哀しい気分にさせられるので、城塞のたどって来た波乱の歴史を偲ぶには持って来いかも知れません。
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by cheznono | 2005-05-29 00:59 | 不思議の国フランス