リトル・チルドレン

b0041912_2317075.jpg 先日やっと「リトル・チルドレン」を観て来ました。前から気になっていたのに、なかなか観に行けなかったこの作品、舞台をそのまま日本の地方都市郊外に置き換えても不自然でないような、身近なドラマという感じでした。
 静かな住宅街で夫と3歳の娘と何不自由なく暮らすサラ(ケイト・ウィンスレット)。公園デビューするもののママ仲間に馴染めず、ビジネスマンの夫には失望し、子育てにも今ひとつ身が入りません。サラは、司法試験浪人のかたわら主夫業にいそしむブラッド(パトリック・ウィルソン)と公園で出会い、あっという間に二組の親子は親しくなって行きます。
 キャリアウーマンの美人妻(ジェニファー・コネリー)の期待とは裏腹に、とっくに司法試験への情熱は冷め、子守りに甘んじるブラッドにとって、サラは好みのタイプではないけれど、やがて二人は不倫の関係へ。元文学少女のサラはブラッドに夢中になって、子育てもうわの空の状態です。
 そんな中、幼児性愛で服役していた中年男のロニーが出所して、母親の家に戻って来たため、元警官のラリーが彼を執拗に非難して、地域社会に不安を投げかけます。ロニーは悲しい性癖を自分でも持て余し、それを公然となじるラリーにも辛い過去があることが分かって来ます。
 この人といれば今とは違った新しい世界が開けるのではと、お互いに相手に期待をするサラとブラッド。リトル・チルドレンとは、どこか満たされない思いを抱えた《大人になれない大人》を指すらしいですが、そんな大人になり切れていない登場人物たちが淡々と、でもユーモアを持って描かれています。熱に浮かされていたような二人も、あるきっかけで我に帰り、それぞれの生活を見直すところが、やっぱり大人の映画だなって思いました。我に返るのがどちらか片方だけだと、悲劇になりがちですものね。
 考えてみれば、誰しも多かれ少なかれ大人になりきれない部分を引きずっているわけで、そこを自分なりに折り合いをつけて、日常を送っているような気がします。フランスのバカロレアの哲学の試験に出ましたが、人間の欲望というのはいったんは満たされても、また更に新たな欲望が生まれ、尽きることはないらしいですから、だとしたら、《どこか満たされない思い》を抱えて生きて行くのは、人類の宿命と言えるのかも知れません。
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by cheznono | 2007-09-21 00:47 | 映画