カテゴリ:イタリア絵日誌( 17 )

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 よく聞いてみたら、荒れ果てているのはローマからフランスに通じる海沿いの旧街道であって、ハンブリー庭園の入口は別にあり、入場料を払えば18ヘクタールに渡る広大な庭園をゆっくり楽しめるのだとか。
 19世紀に紅茶と絹の貿易で財を成したハンブリー卿は、ヨット遊びのためにやって来たリヴィエラが気に入り、フランス国境目の前のこの岬にヴィラを建て、英国式の自然に任せた庭園を築いたそうです。
 世界5大陸からありとあらゆる植物を集めたという庭園は、現在ジェノヴァ大学によって管理され、 地元の人の憩いの場になっている模様でした。
 しかし、今回我々は庭園に入らず、岬に向かう岩場をひたすら歩いた次第で、噂によると、岬の向こう側の海岸はゲイビーチとなっており、男性同士の出会いの場なのだとか。

 岸壁海岸のハイキング後、夕食のためにヴァンテミリアからドルチェ・アクアを抜け、ロッチェタ・ネルヴィーナのレストランへ。久しぶりに鱒のグリルでも食べられるかと期待したのに、マダムが出て来て「今日は休業よ、でもせっかく来てくれたのだから、ラビオリで良かったら作るけど?」と言うので、きのこソースでラビオリを食べることになりました。
 さすがにその辺で買うラビオリとは違って、マダムお手製のラビオリは皮が薄く、中身のほうれん草がはっきり透けて見える。フランスではシュウマイや餃子の類いを中華ラビオリと呼ぶけれど、なるほど外見はミニ餃子風です。デザートは大きなティラミスの森のソース添え。

 さて、アントレとデザートのみの夕食をすませ、ニースに戻ろうと立ち上がったら、左足の甲に激痛が。ついさっきまで元気だったのに、もはや片足でしか立つこともかなわず、強い痛みのために歩けなくなっているではないですか。
 夕方岩場で転んだけど、その後2時間余りも歩けたのに、なぜ今になってこんなに痛いのだろう?くるぶしをひねった記憶もないが、これが捻挫なのか?抱えられるようにして何とか車に戻り、夜遅くニースに帰宅。家の中も片足けんけんしないと歩けないため、不自由きわまりないし、もしも骨にひびが入っていたらと頭の中は不安でいっぱい。痛みとショックで翌日は半日ベッドの中でした。
「多分捻挫だから2日安静にしていればまず大丈夫。当日は冷して、丸一日経ってからは暖めて」という大家さんの忠告を半信半疑で聞いていた私でしたが、本当にその通り。足を伸ばして安静にしていたら、3日目から歩けるようになりました。あー良かった。下手すると帰国まで松葉杖状態になるかと思った。
 軽い捻挫の場合、当初はあまり感じなくても、後から痛みが増すことがあるそうで、私もそのケースだったのでしょう。日頃の運動不足をいたく反省させられる出来事でした。今後はハイキングの前にも準備体操が必要かも。
 写真はフランス側のリヴェイエラ、サン・ミッシェルの丘。軽いハイキングなら、こちらの方がお勧め。
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by cheznono | 2011-06-19 21:18 | イタリア絵日誌

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パリ・エクス10日間の旅から戻って、少しのんびりしたいと思った先週末でしたが、天気が良いのでニースの端の丘で軽くハイキングしてから、今年のベルリン映画祭で金熊賞を受賞したイラン映画「A Separation:別離」を観て帰宅。
 翌日、大家さん夫妻がイタリア国境にある19世紀に英国貴族ハンブリー氏が遺したという庭園を観に行こうと言うので、イタリアン・リヴィエラでイングリッシュ・ガーデンが観られるのかと本気で思い込み、付いて行きました。
 買い出しに寄ったヴァンティミリアで、シーフード入りリゾットを頼むと、結構待たされたのになんと冷たい。しかも、リゾットなのに水分が殆どなくてピラフのよう。チンしただけだったのね。そういえば、モンマルトルのカフェで食べたタラも冷たかった。地元の人で賑わっていたから、安くてもおいしいのかと思ったのに。
 食にうるさいフランスでも、今は多くのレストランで調理済みの冷凍した料理をチンして出すお店が急増しているとか。《メトロ》など業者向けの大型スーパーで、レストラン向けの既に調理した料理を仕入れて来るだけのオーナーが多いため、あちこちのレストランで似通った料理を出すと聞くから、もう腕利きの料理人はいらないということか?

 昼食後、目的のモルトーラ岬のハンブリー庭園に向かったものの、野性味あふれる緑の中に現れたのは単なる荒れ果てた庭でした。岩ごつごつの海岸に下るフランスへ通じる旧街道を囲む広大な庭園は、石壁に閉ざされ、数々の錆びた門は全て施錠されていて入りようもありません。見たこともない植物があれこれ生い茂っているのは面白いけど、イングリッシュ・ガーデンはおろか、秘密の花園のような夢もなく、あるのは野性味だけ。
「花のリヴィエラ海岸の海に面した美しいヴィラと庭園」とは、いったいいつの時代のこと?などと思いながら岸壁海岸まで降りたら、すっぽんぽんで日焼けにいそしむカップルなど、数人の人影が。知る人ぞ知る秘境なのかしら? 

 海岸の岩の上を用心しながら岬の先に進んでいた時、ちょっと高さのある岩から降りようとした際、やばいと思った途端しっかり足を滑らせて落下。左足がとても痛かったけど、立ち上がってまた歩き始めたら、別に何でもなかったので、一安心。それから約2時間、岩海岸をハイキングする羽目となりました。つづく
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by cheznono | 2011-06-16 21:49 | イタリア絵日誌

b0041912_0582314.jpg 万聖節のヴァカンスというのに嵐が南仏を通過したため、あいにく大雨の週末となりました。これまでパラパラと散っていた
オリーブの実も、この嵐でいっきにたたき落とされてしまった感じ。
 万聖節はお彼岸のようなもので、本来ならシクラメンか菊の鉢を抱えて先祖のお墓参りに行く日なのに、この雨ではお墓参りも容易ではないでしょう。まあ、クリスマス前の最後のヴァカンスとあって、今やお墓参りに出かける人よりも、旅行に出かける人の方が多いけれど、燃料所のストは終わったとは言え、まだガソリンが足りないスタンドもあるのだから、ドライバーも大変ですね。
 
 さて、インペリアの向こうに愛の伝説が伝わる美しい街があるというので、電車で出かけて来ました。数あるイタリアンリヴィエラの浜辺の中でも際立って細かくきれいな白砂を誇るリゾート地アラッシオ。延々と続く長い白浜と海に沿った旧市街が特徴の歴史あるシックな街で、10月末でも海辺で水浴びをする家族連れで賑わっていました。
 10世紀、神聖ローマ帝国の初代皇帝でドイツ皇帝でもあったオットー1世の姫君アデラッシアが、父王の召使いアレラーモと恋に落ちたものの、身分違いの恋愛にオットー1世は猛反対。やむなく若い恋人達はこの地方まで駆け落ちします。子供をもうけ、幸せに暮らしていた姫を見つけた父王は、やがて二人を許し、彼らが居を構えたこの街はプリンセスとその夫の名前にちなんでアラッシオと呼ばれるようになったとか。
 アラッシオ駅に向かい合った公園の壁には、角にある古いカフェバーに通った芸術家やスターを記念して焼かれたタイルがはめ込まれていて、アーティストの壁と呼ばれ、この街の名所の1つとなっています。
 旧市街の古い町並みは隣のアルベンガと似ているけれど、より洗練されていて、小粒。けれどいかにも高級なリゾート地という雰囲気です。アルベンガとの境に辺りに、ぽっかり浮かぶ可愛い島は、鳥の島と呼ばれ、かつては野生の鶏が住んでいたとか。今の主な住民はカモメだそうです。中世にはカンヌ沖のレランス島のように修道院が建てられ、ベネディクト派の修道士で賑わっていましたが、今や修道院は消えてしまい、島は個人の所有物に。島自体、売りに出ているとい噂も。夏の間のみ、島の周囲を巡る船が出ているそうです。
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by cheznono | 2010-11-02 01:00 | イタリア絵日誌

中世の村チェリアーナ

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  先週末は、BSの番組「小さな村の物語 イタリア」で紹介されていたリグーリア地方の村チェリアーナに連れて行ってもらいました。サンレモから峠をぐるぐると上ること30分、オリーブや栗の木に囲まれた細い山道をさんざん上った後にちょっと下ると、谷底から鷲ノ巣村状に高く築かれた中世の村チェリアーナが現れます。
 典型的なリヴィエラ地方の鷲ノ巣村の姿ですが、意外に規模が大きく、しかもかなり山奥にある割には今なお住人の多い活気のある村でした。それもその筈、チェリアーナはリグーリア地方のオリーブ街道の一画にあり、この村は日本でも知られるオリーブオイルのブランド:クレスピの本拠地だったのですね。
 
  直木賞作家:坂東眞砂子氏の「聖アントニオの舌」に 《鞭打ち苦行の儀式が行われるチェリアーナ》が紹介されているようですが、それはこのチェリアーナ村のことなのでしょうか?
 この村の人たちはとても信心深く、中世からなんと21もの教会を建立して来たそうです。中でも12世紀に建てられたサンピエールとポール教会は、国の文化財に指定されています。
 今や村の主要な産業はオリーブオイルと花の装飾品。サンレモに近いだけあって、音楽祭も開かれる明るく穏やかな村は、フランス側のコートダジュールの鷲ノ巣村が観光化されがちなのと対照的に、住民が日常生活を送っている点が魅力的です。 細い道に次々現れるカーブを上り詰める割には、ちゃんとバスも通っているし、学校も近いので、子供たちも生き生き遊んでいるし、村人が親切なので住みやすいと聞きました。
 ロス・アンジェルスからチェリアーナに移り住んだというアメリカ人のカップルにたまたま出会ったので、村での生活を聞くと、とても満足しているとか。なるほど年を取ったら、こういう村で引退生活を送るのも悪くないかも。と思って何気に不動産広告を見たら、小さい家のお値段は450万円から。確かにニース辺りよりははるかに安いけど、まあイタリア語ができればねえ。
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by cheznono | 2010-10-09 21:11 | イタリア絵日誌

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 「湖のほとりで」と「セントアンナの奇跡」と、イタリアの山あいの村を舞台にした映画を続けて観たので、何だか北イタリアの鷲ノ巣村の夏が恋しくなりました。特に「セントアンナの奇跡」では、ニースにいる時は何気に訪れているイタリアの平和な村々が、第二次大戦中にとても悲惨な占領経験を強いられて来たことを全く知らなかったので、次回はもっと心して出かけてみたいと思います。
 ここ数年、日本人旅行客がめっきり減っているというイタリアですが、ニースからひとまたぎのイタリアン・リヴィエラには魅力的な鷲ノ巣村が点在しているのに、なぜか殆ど日本のガイドブックには載っていないのが残念です。今日ご紹介する芸術家村は、サンレモからインペリアに向かって海沿いの道を山側にぐるぐる上って行くと現れるブサーナ・ヴェッキア。
 この村はドイツ軍占領の影響を全く受けていません。なぜなら、19世紀にこの地方を襲った3度の地震で村の一部が損壊し、更に4度目の1887年の大地震では教会の丸天井が落ちて50人余りの犠牲者を出したため、住民が逃げ出して、便利な海側に新しい町を作ったので、古いブサーナ・ヴェッキアは見捨てられてしまったのです。
 以来60年、廃村になっていた村にぼちぼちと人が戻って来たのは、戦後の混乱期でした。1960年代になって、画家を初めとしたアーティスト達が、中世のまま取り残されたような村に注目して、理想の芸術家村を作るべく続々と集まって来たため、ようやく村に電気やガス等のインフラが復活。地震の爪痕が痛々しく残る家並みを、イタリアやフランスはもちろん、オランダや英国、ドイツなどからやって来た画家や彫刻家、陶芸家、ミュージシャン達が力を合わせて修復し、住み着いたのでした。
 村の細い石畳を歩くと、古い家々の窓からそれぞれのアーティスト達の作品を見ることができます。とはいえ、サンポール・ド・ヴァンスのような商業目的のギャラリーが所狭しと立ち並んでいるわけではなく、村のたたずまいはいたって素朴。殆ど中せから変わっていないかのようです。地震で半壊した教会は今もそのままですが、2つある教会の塔が鷲ノ巣村を際立たせています。
 アーティストの集まる村だけあって、ブサーナ・ヴェッキアにある数件のレストランはいつも活気に満ちているから、そこにいるだけで陽気な気分がこちらにも伝染して来るようです。写真は、村の入口にある串焼きがおいしいレストラン。遥か眼下には地中海が見下ろせます。
 この店で友人達が初めて食事をした夜、たらふく食べて飲んで、いざお会計となった時、店のスタッフがすまなそうに「今夜はクレジットカードの読み取り機が故障しちゃって、あいにくカードではお支払いできません」と言うので、慌てて手持ちの現金をさぐったけど、15ユーロ程度しか持ち合わせがなくて全然足りません。これは山を降りて海沿いの道にある銀行のキャッシュ・ディスペンサーまで行かないとダメかと思ったとたん、今度は店の主人が現れて、「15ユーロでいいよ、差額は店のおごりだよ!」とにっこり。足りない30ユーロ分はお負けしてくれたのだとか。
 ぼる店も多いと言われるイタリアだけど、太っ腹なレストランもあるものです。車とはいえ、カーブだらけの暗い山道をぐるぐる降りて、現金を降ろして、支払いのためまた山を上って行く手間を考えたら、オーナーのおごりは本当にありがたかったことでしょう。
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by cheznono | 2009-09-09 01:55 | イタリア絵日誌

北イタリア秘境の滝

b0041912_21205555.jpg  コート・ダジュールにくらげが襲来して、カンヌやモナコを初めあちこちの海岸で注意を呼びかけています。発生しているピンク色のクラゲは、刺されると病院行きになるほどの毒性があるらしく、海岸沿いではクラゲよけの網を張るなどして防衛しています。
 その点、ロチェッタ・ネルヴィーナの水たまりは、クラゲに刺される心配もなく、
森林浴と水浴びを一度に楽しめて爽やか。ニースの砂利海岸で照りつける太陽のもと、潮風に吹かれるのが苦手な私には、やっぱりこうした内陸の秘境の方が楽しめます。
 この辺りでは以昔、山で村人がヤギや羊を放牧していたらしく、滝のさらに上流にはかつて羊飼いが通ったような細い道が山奥まで続いていました。
 ここまで来ると、レストランのメニューも地中海料理ではなく山の料理になって、特にウズラがおいしいのだとか。メニューに大好きなリゾットがないのはがっかりでしたが、代わりに大きなマスをたいらげてから、帰途につきました。
 さて、山を下って国境のヴァンテミリアで高速へ乗ろうとした所、巨大なトラックの群れが道をふさいでいて大渋滞。なかなか料金所にたどり着けません。フランス側は革命記念日の祝日だけど、イタリアは週明けの月曜だから長距離トラックが多いのかしら?しかし、トラックの数が異常に多い。
 のろのろとやっと料金所に到着したので、なんで大量のトラックが国境を越えるのかをドライバーにイタリア語で聞いてもらうと、係りのムッシュウは当然のように「フランスが革命記念日だからだよ」の意味不明な回答。
 革命記念日だとなぜフランスに向かうトラックが大量発生するのでしょう?何せやっと国境を通過し、フランス国内に戻ったものの、二車線ある高速の一車線は完全に巨大トラックがふさいでいて、その列はマントンは愚か、モナコを過ぎてチュルビーを通り、ニースの出口までずっと連なっていたのです。その数何千台。これだけ大量のトラックを見たのは、生まれて初めて。
 もう何年も、フランスはイタリア経由で入って来るブランド品の模造品に悩まされているため、国境では警備を厳重にしています。ルイ・ヴィトンやエルメスの酷似品が、イタリアの工場からフランスに逆流し、それがBRICSなどの新興国に安く流れて行くことで、国内の目玉の一つであるブランド産業が脅かされることに危機感が増しているから、国境警備隊は不法移民の入国と同様に、偽ブランド品の流入阻止に躍起になっています。
 しかし、革命記念日には警備隊も手薄になって、いちいち通関でトラックの積み荷をチェックすることもない筈。なので私の想像は、あの大量のトラックの中には、模造品やら関税の高い商品やらかんやら怪しげな物が詰まっていて、フランス側がお祭り気分で休息している間に、一気に運び込もうという魂胆では?というものですが、同行の友人達は私の説に全然納得してくれませんでした。
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by cheznono | 2008-07-25 21:23 | イタリア絵日誌

革命記念日のイタリア

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 昨日どうも病院前にパパラッチが増えたなと思ったら、アンジェリーナ・ジョリーが退院して行ったそうです。双子の赤ちゃんは、ニースの名誉市民だとか。在仏10年のモロッコ人の女性が、フランス生まれの子供も何人かいるのに、未だフランス国籍がもらえないというのに、ハリウッドスターがたまたまニースで出産した赤ちゃんは、生まれたとたん名誉市民だから、びっくりです。 
 革命記念日の祝日にニースにいてもしようがないから、イタリアに行こうと友達が言うので、先週は憧れの鷲ノ巣村ロッチェタ・ネルヴィーナに行ってきました。
 半壊したお城の残るドルチェ・アクアをさらに北上したところにあるロッチェタ・ネルヴィーナの奥には、知る人ぞ知る滝があるとかで、その滝の下で水浴びをするのが目的です。
 朝テレビでパリ祭の様子を観てから、雲一つないニースを出て、高速をイタリアへ。国境を越えると気温が一気に21℃に下がったので、涼しさを喜びながら、例によってヴァンテミリアの猫一族が住む海岸でピクニック。それから峠に入り、ドルチェ・アクアを通り過ぎて、いよいよロッチェタ・ネルヴィーナに到着です。
 川沿いに切りたった崖のように高くそびえる村が、青空に映えてまぶしいこと。その名の通り、大きな岩がごつごつとした地形を利用し、川辺の1階から数えると7階から8階にも及ぶ、まるで石造りのアパルトマンのような構造のロッチェタ・ネルヴィーナ。その姿に、外敵から身を守るために工夫して村を作りあげた中世の人々の心意気と苦労を思わずにいられません。
 さて、肝心の滝を探すため、村の地図に「湖」とある川の上流を目指して、岩のごつごつとした川沿いの狭い山道を上って行くと、次第に川の流れが岩でとぎれとぎれになって、大きな水たまり、つまりミニ湖が点々とつながっているような地形になって来ました。水は驚くほど澄んだエメラルド色。欧州一水が澄んでいるというアヌシー湖に負けず劣らずの澄み方です。
 つま先を水に浸すと、ぴりっと冷たいけれど、大きな岩をよじ上っては、スッポンポンで水たまりに飛び込む若者達は楽しげに泳いでいます。こんな秘境に入って来る人は少ないから、地元のイタリア人が遊んでいるのかと思ったら、意外に飛び交う言葉はドイツ語やスカンジナビア系でした。聞けば、アクア・ドルチェ辺りは、ドイツ人の別荘が多いのだとか。北イタリアのこんな峠の奥も、太陽を求めて南下する北ヨーロッパ人の間では、もうかなり前から人気だったのですね。 
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by cheznono | 2008-07-21 01:28 | イタリア絵日誌

イタリア一美しい村

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 ドルチェアクアを後にした私たちは、次の鷲ノ巣村イソラボーナを通り過ぎて、アプリカーレに向かいました。ここはイタリアで一番美しい村の一つに選ばれていて、規模も比較的大きく、見応えがあります。
 アプリカーレも中世にサラセン人やムーア人が地中海から襲撃してくるのを避けて、豪族が山の中に隠れるように城を建て、教会を作り、その下に村人の家が広がったという構造は、フランス側の鷲ノ巣村とよく似ていますが、観光化やお金持ちと外国人の別荘化しているニース近郊の村に比べて、イタリア側の村は生活の匂いがあって、人のぬくもりが伝わって来るところが良いですね。
 アプリカーレは、村の入り口から点々と石造りの家壁にフラスコ画が描かれているのが特徴で、細い石畳の小道を登り切ると写真の広場に出ます。目の前にパノラマの開けるこの広場で背中を振り返ると、上にそびえるお城と教会が望めて、それが思わずおおっと声を上げたくらいに印象的でした。
 今は日が短いため、あっという間に暮れなずんでしまった山道をサンレモまでゆっくり下り、ラビオリやドライトマトなど食料品の買出しをしてから、ヴァンティミリアで魚を食べて、良い気分で帰って来ました。
 ブリュッセルから来た友達は、サンレモのインド系のお店に並んでいたカシミアのマフラーを購入。なかなか凝った模様の織り込まれた素敵なマフラーで、薄いけれどカシミア100%が10ユーロです。彼が早速首に巻きつけると、後から皆んなに安過ぎるから純粋なカシミアのわけがない、インド系の店には気をつけなきゃとからかわれてましたが、手触りはソフトでシルクのよう。やっぱり私も買えばよかったかな?
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by cheznono | 2007-12-05 01:21 | イタリア絵日誌

モネの愛した鷲ノ巣村

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 ブリュッセルから友達が来たので、イタリアの鷲ノ巣村を訪ねようということになりました。とはいえ、朝のんびりな私たちが、ニースを出発したのは既に昼過ぎ。どこかでお昼を食べなくちゃと、国境の街ヴァンティミリアのマルシェに寄って、固いパンとハムやチーズを買い込み、海沿いの小道をたどって、知る人ぞ知る穴場の白い砂浜の朽ちたボートのそばでピクニック。地中海の色はもう冬の濃いブルーでしたが、陽射しが暖かくて気持ちよかったです。
 さて、ヴァンティミリアから北上すると、しばくらくして山の中に流れる川の淵にたたずむドルチェアクアが見えて来ます。ここは、国境を越えたイタリア側で人気の鷲ノ巣村で、村の入り口にはカラフルな教会が立ち、そこから細い石畳の小道が、丘の上のお城まで迷路のように続いていました。
 ドルチェアクアはとてもきれいな中世の村と聞いてはいましたが、車がないと不便なため、今回初めて訪ねることができて嬉しかったです。日本のツアーにもモナコ~マントン~サンレモ行きの途中にこの村を入れているものがありますが、ここは印象派のクロード・モネがかなり気に入って、古いアーチ型の橋からお城を見上げる風景を作品にもしているそうです。
 フランスの鷲ノ巣村もそうですが、ドルチェアクアも猫がとっても多くて、中世の石畳を行く私たちの後を、用心しつつも付いて来るのが可愛かったです。でもなぜか、細い通路の片隅のあちこちにネズミ捕りの黒いプラ箱が置いてあるではないですか。出るのは二十日ネズミのような小ネズミらしいのに、やっぱり今の猫は満ち足りていて、もうネズミ捕りの役目をしないのでしょうか?
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by cheznono | 2007-11-29 23:26 | イタリア絵日誌

イタリア行き列車の中で

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 久しぶりに国境を越えてサン・レモまで買出しに行こうと、ニースからミラノ行きの列車に乗りました。同じコンパートメント内に乗り合わせたのは、イタリア人男性3人で、いつの間にか私たちはイタリア政治事情について熱い談義?を交わすことになり、サン・レモまでの1時間半があっという間でした。
 3人のイタリア人のうち、年配のムッシュウはプロディ首相と同じボローニャ出身とのこと。とかく不人気で先行きも怪しいプロディ首相ですが、今回乗り合わせた人たちも反プロディ派。英語、仏語共に達者なフローレンス出身の青年いわく、イタリアの政治家は今もマフィアとの結びつきが深く、私欲を肥やすことに専念していて、国民の生活は向上しないとのこと。お給料が1000ユーロ位の若者が大半なのに、インフレで家賃や物価は上がるばかり。政治と金の問題が耐えないのに、国民は恋愛や今を楽しむことに夢中で、政治について不満は言っても、まあ何とかなるさとフランス人のように政策に抗議してデモなんてしないしね。
 私が「もしかしてイタリア人って案外日本人に似てるかも?日本も政治と賄賂の問題は尽きないし。」と言うと、「そんな筈はない、日本人てずっと真面目で、汚職や収賄なんて許さない風土があるんじゃない?第一、何かあると政治家が自殺するでしょう?」うーむ、でもそれは責任を取っているわけではないのよね。すると、隣で友達が「あら、この人の国は首相が突然辞めちゃって内閣を放棄したから、2週間位首相がいなかったのよ。」その通りです、トホホ。
「へえ、そんなことがあったの?日本がそういう国だったなんて意外だな。」とイタリア青年。そうりゃそうでしょう。日本人だって、そういう国だとは誰も思ってなかったんだから。
 春のベネツィア行きの際は、列車のコンパートメント内で乗り合わせた人たちが、初対面なのに老いも若きも口角泡を飛ばしてしゃべりまくるのを、よくまあ、次から次へ話題が尽きないなと半ば呆れて見てましたが、こうやって仲間に入れてもらえると案外面白い情報交換ができて楽しいですね。
 熱っぽく語り続ける彼らを見て、個人個人のこうしたエネルギーを政治に反映したら、イタリア社会もかなり変わるのじゃないかと思うのですが、「独仏英などを見本にして、イタリアの変化はまだ始まったばかりだよ。」と青年は締めくくっていました。
*写真はサン・レモのマルシェにあふれていた摘み立てオリーブ
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by cheznono | 2007-11-20 04:55 | イタリア絵日誌