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華麗なるギャツビー

b0041912_23393861.jpg 今週は遅ればせながらディカプリオ版ギャツビーについて。
 その昔、レッドフォード+ミア・ファロー版の「華麗なるギャツビー」には強い影響を受け、スコット・フィッツジェラルドに惚れ込むきっかけとなりました。ウッディ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」でパリに集った1920年代のロストジェネレーションの面々をかいま見た時も、真っ先に思い出したのはレッドフォード版ギャツビーでしたし。

 さて、覚悟はしていたけれど「ムーラン・ルージュ」のバズ・ラーマン監督のデュカプリオ版は予想以上にエンターテイメントに徹していたため、上映時間が合わず3Dで観なかったことを後悔する結果に。
 ディカプリオのギャツビーは、凶暴性を秘めた孤独な成り上がり者が忘れ得ぬ女性への恋情に身を焦がすという複雑なキャラクターをうまく自分のものにしていて、レッドフォード版よりも現実味が感じられます。しばし猛暑を忘れて、古き良きアメリカンドリームの絶頂と破滅とをディカプリオの演技に観るのは悪くないかも知れません。

 過熱気味のウォール街に職を得て、ロングアイランドの小さな家に落ち着いたニック(トビー・マグワイア)が、隣の豪邸(城?)で夜な夜な大パーティを催す謎の大富豪ギャツビーに興味を持ちます。

 ある日、ギャツビーから正式にパーティに招待されたニックは、ギャツビーの真の目的が対岸に暮らすニックの従姉デイジー(キャリー・マリガン)との再会にあると知って驚きます。
 5年前、貧しい軍人だったギャツビーは、ブルジョワ家庭の令嬢デイジーと愛し合ったものの、お金のないギャツビーにとって富豪の娘は所詮高嶺の花。従軍したギャツビーはそのまま行方知らずに。
 戦場から帰らぬギャツビーを諦めたデイジーは金持ちの実業家トム・ブキャナンと結婚し、一人娘を授かります。

 5年後、怪しげな手法で巨万の富を築いたギャツビーは、人妻となったデイジーと二人が失った過去を取り戻すべく、金に糸目をつけずにデイジーの気を惹こうと躍起になります。
 愛は再燃し、逢瀬を楽しむ二人でしたが、夫の浮気に失望しているはずのデイジーなのに、いざとなると煮え切りません。自分の描いた理想の女性をデイジーに投影するギャツビーは、そんなデイジーの迷いが理解できず、その思い込みの強さがやがて悲劇を呼び込むことに。。

 本作はしきりにメロドラマとして紹介されていますが、私には甘さや切なさよりも大げさなシーンやコメディ度が目についてしまって。。第一、文学の香りはどこに行ってしまったのでしょう?

 富裕層と労働者階級との恐るべき格差やマネー至上主義が行き着いた先にもたらされる崩壊も、徹底した娯楽性の陰に印象が薄まってしまっているのも残念。
とはいえ、栄光を手に入れた野心家が愛する女性の本質を見ようとするどころか、その幻に思い入れたあまり、破滅へと突き進んでしまう姿を体現したディカプリオは一見の価値があります。

 個人的にはやっぱりレッドフォード版がお勧め。文学性もメロドラマ度もノスタルジー度も遥かにこちらに軍配があがると思えるのです。

 余談ですが、パリ7区、エッフェル塔の近くにあるバー・レストラン「ル・ギャツビー」は、ジョナサン(ジョナタン)・ザッカイ(「真夜中のピアニスト」や「マーガレットの素敵な何か」に出演)もお気に入りという1920年代のシックな雰囲気を再現した人気のお店。一度行ってみたいと願いつつ、未だ機会がありません。多分、来年こそ。。
Le Gatsby:64,avenue Bosquet, Paris
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by cheznono | 2013-07-15 23:44 | 映画

リンカーン

b0041912_2320962.jpg 泥沼化した南北戦争の中で再選されたリンカーン大統領の最後の数ヶ月間を公私共に描いたスピルバーグ監督の「リンカーン」。ダニエル・デイ=ルイスがまるでリンカーンの生まれ変わりのように難役を自分の物にしているので、例え歴史的背景がおぼろげでも充分見応えがありました。

 貧しい農民の息子がほぼ独学で弁護士資格を取り、やがて国政に身を投じて、ついには大統領に選ばれて、人々の信望を集めたエイブラハム・リンカーン。やや美化されているのは否めないものの、当時から合衆国にはこれだけの人物を排出する土壌があったのかと感心させられます。
 大変な犠牲を払って移民達が大国を作り上げる過程でこういう人物が傑出することが、アメリカ民主主義を築き上げて行ったのですね。フランスはナポレオン3世による第二帝政の時代。日本では新撰組が活躍し、幕府が長州征伐に乗り出した時代です。

 リンカーンが奴隷解放宣言をしたものの、南部では奴隷制が続き、南北戦争も4年目に突入した1865年。北軍の勝利が近い中、大統領は戦争終結の前にまず連邦議会で奴隷制度の廃止を定めた憲法修正法案13条の可決を目指します。
 しかし、民主党を初めお膝元の共和党内にも反対派が大勢いて、修正案成立はいばらの道。

 一方、家庭内では子煩悩なリンカーンですが、彼の良き理解者ながら、息子を病死で失った傷から情緒不安定となった妻メアリ(サリー・フィールド)からヒステリックに攻撃されることもしばしばです。
 反対派の懐柔策に疲れ、家でも孤独な大統領は、常に自分の感情を抑制しているかのようですが、修正案を通すためには独裁者のような一面をのぞかせることも。。
 そして、いよいよ連邦議会の朝が来ます。

 奴隷制の理不尽さを「ジャンゴ」(映画としては悪夢のようでした) で、「声をかくす人」(すごく見応えがあってお勧めです)でリンカーン暗殺事件とその後の裁判を観てから間もなかったので、「リンカーン」にも入り込み易かったですが、やはり南北戦争について予習かおさらいしておくとより楽しめることでしょう。

「息子を亡くした時、悲しみで胸が張り裂けそうだったのに、あなたは私と同じようには悲しまなかった」と責める妻メアリに「自分も全く同じ思いだった、君があんまり泣いて騒ぐから、僕まで一緒に泣き叫べなかっただけだ」とつぶやくリンカーン。
「君が悲しみに押しつぶされるか、悲しみを乗り越えて前に進むかはあくまでも君次第だよ」と一見突き放すかのような助言がこだまのように今も耳に響きます。
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by cheznono | 2013-05-20 23:32 | 映画

愛、アムール

b0041912_1152130.jpgカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した後、アカデミー賞で外国語作品賞に選ばれたミヒャエル・ハネケ監督の「愛、アムール」。フランスに比べて遥かに家庭で介護するケースの多い日本では、ここに描かれた老老介護の過程はまさに身近な現実です。
カップルであっても親子であっても一人であっても、身体が効かなくなる人生の終盤とどのように向かい合うか、改めて考えさせられました。

パリに暮らす音楽家夫婦のジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)とアンヌ(エマニュエル・リバ)。悠々自適な引退生活を送る二人でしたが、ある時、アンヌが脳疾患で発作を起こします。
半身不随の車いす生活となったアンヌは、夫にもう病院には戻さないでと頼み、ジョルジュは妻との約束を守るべく自宅での介護生活に踏み切ります。
トイレもシャワーも夫の手を借りないと用を足せなくなったアンヌ。必然的にアパルトマンに引きこもりとなった二人の間にはこれまで以上に濃密な絆が育まれ、逆に時折ロンドンからやって来る一人娘(イザベル・ユペール)とは距離感が深まります。

ようやく介護のリズムに慣れた頃、アンヌに二度目の発作が襲い、アンヌの病気はいっきに進行、意思の疎通も難しい状態に。
しっかり者だった母親とまともな会話も成立しなくなってしまったことが受け入れられない娘と、頑に自宅での介護を続けようとする夫。孤立する老夫婦に容赦なく病状は悪化して行き。。

妻への愛や同情ゆえに、自宅で介護にかかりきりになるジョルジュが精神的に追いつめられて行く過程は、日本のあちこちで日常的に起こっている現実と重なる部分も多いでしょう。
確かに夫婦愛には打たれますが、北欧には及ばないにせよ、社会保障制度が恵まれているフランスで、ブルジョワの文化人カップルが選択した老老介護のあり方にショックを受けました。
例えば、訪問介護士を自費だけで雇い、契約も口約束だけどの個人取引で済ませるなんて、問題が起こるのは自明の理では?
とはいえ、家政婦さんを雇う時はもちろんのこと、住まいの賃貸契約も代理店を通さず個人契約する場合が多いお国柄では、さほど不自然ではないのかも知れません。

ケアマネージャーが訪問介護事業所を探してくれ、たとえ短期のヘルパーさん派遣であってもきちんと契約を交わし、ケアマネ立ち会いのもとに何枚もの書類に署名捺印する日本のシステムは、責任の所在もはっきりしていて素晴らしい。

ヨーロッパの街角でよく見かけるアンヌとジョルジュのような熟年カップルが、尊厳のある自立した生活を孤立することなく続けられる社会とは?難問を突きつけて来る作品ですが、ラストのイザベル・ユペールの仕草には不思議と希望が見えるようでした。
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by cheznono | 2013-04-14 01:18 | 映画

王妃に別れを告げて

b0041912_0232.jpg フランス革命勃発時のヴェルサイユ宮殿で、蜂の巣をつついたように右往左往する宮廷人たちを尻目に王妃マリーアントワネットへの忠誠を貫くうら若い朗読係シドニー。彼女から見た緊迫の3日間を描く「王妃に別れを告げて」。 
 ベテラン、ベノワ・ジャコー監督は、シドニーの王妃への思慕と王妃のポリニャック夫人への寵愛という三角関係を軸に、沈むタイタニック号のようなヴェルサイユの様子を映画にしたかったと語っています。
 フランスメディアがこぞって絶賛したこの作品、観客の感想は賛否両論でかなり分かれましたが、私もいまひとつピンと来ませんでした。グザヴィエ・ボーボワ(「神々と男たち」の監督です)のルイ16世もさることながら、一番違和感があったのは、ダイアン・クルーガーの王妃役。加えて、怪しく美しい同性愛的関係の強調です。キルスティン・ダンスト(ソフィア・コッポラの「マリーアントワネット」の主役)の方がまだ雰囲気が実像に近かったのでは?

 突然のバスティーユ陥落で今後の身の振り方を苦慮する貴族やさっさと逃げ出す宮廷人の中で、王妃の朗読係シドニー(レア・セドウ)は、敬愛するマリーアントワネットに忠誠を誓います。
 故郷オーストリアに避難したいのはやまやまの王妃でしたが、ルイ16世がヴェルサイユにとどまる方を選んだため、王と行動を共にすることに。
 王妃は大のお気に入りであるポリニャック公爵夫人(ヴィルジニー・ルドワイヤン)が自分と同様、革命派のギロチンリスト上位に載っていると知り、即座に亡命を勧めます。王妃の本音は、そうはいっても自分を見捨てて行かないで、という思いだったでしょうが、ポリニャック夫人はあっさりと逃亡を承諾。
 最後まで王妃に仕えるつもりだったシドニーは、その身代わりを頼まれ動揺します。それは、命がかかった危険な使命。けれども、孤児のシドニーに選択の余地はありません。 
 かくて、ヴェルサイユを後にしたシドニーはポリニャック夫妻と共に、革命派が目を光らせる国境へと向かうのでした。

 宮殿での外ではオーストリア女、浪費家、レズビアン(その前は浮気女と呼ばれていた)等々と中傷され、目をかけた取り巻きたちに去られて孤立する王妃に、変わらぬ純真な思慕を寄せる朗読係に扮したレア・セドウが光っています。
  王妃のポリニャック夫人への過度な思い入れにジェラシーを感じるシドニーが、「あなたを見捨てないわ」と言ってくれた王妃から、ポリニャック夫人の身代わりを命じられて、その場で彼女の衣装を身にまとい、死を覚悟して階段を降りて来る時の凛とした表情が忘れられません。
 しかし、気に入った使用人にはとても思いやりがあったというマリーアントワネットが、朗読係にこういう任務を課したとは信じ難い気が。。

 原作はフェミナ賞に輝いたシャンタル・トーマの同名小説。原作者も映画と小説は別物と言っていますが、設定や解釈がかなり違っていたため、ちょっと戸惑いました。でも、華やかなヴェルサイユで、貴族と使用人を合わせると3000人余りの人々が、住む部屋も足りずにひしめき合って暮らしていた様子は、まさにこの映画の通りだったに違いないそうです。

「ヴェルサイユ宮殿に暮らす優雅で悲惨な宮廷生活」ウィリアム リッチー ニュートン (著), 北浦 春香 (翻訳)
映画を観てから、ヴェルサイユ生活の舞台裏が詳しく記されているこの本を読むと、当時の宮廷事情がより興味深く感じられるかも知れません。
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by cheznono | 2012-12-26 00:03 | 映画

b0041912_22562419.jpg 6月末にフランス映画祭で観た「ミステリーズ 運命のリスボン」。フランスでロングランしただけあって、4時間半近い長編大作にもかかわらず会場は満員で、前評判の高さが感じられました。
 チリ出身でパリ在住だったラウル・ルイス監督が遺言のつもりで撮ったという本作は、気合いを入れて観ないと各エピソードのつながりや時制が呑み込めなくなりそうでしたが、超複雑な構成を上手く料理した手腕はさすが。
 19世紀のポルトガルの文豪カミロ・カステロ・ブランコによる原作は相当読み応えがありそうです。

 ベースとなる舞台は19世紀のポルトガル。過去と現在が交差する物語は、修道院で成長する少年ジョアンと彼の後見役であるディニス神父(アドリアヌ・ルーシュ)を軸に繰り広げられます。
 14歳になるジョアンはディニス神父から自らの出生の秘密と、伯爵夫人である母アンジェラ(マリア・ジュアン・バシュトゥシュ)の悲恋を知らされて動揺しますが、ディニス神父は全てをジョアンに打ち明けた訳ではありません。
 「もの食いナイフ」と呼ばれた凶暴な男に暗殺されそうだった生後間もないジョアンを救ったディニス神父にも出生の謎があり、神父になる前はフランスでかなわぬ恋に身を焦がした過去が。

 成長したジョアン(アフンス・ピメンテウ)はフランスに留学。そこで出会った年上の未亡人エリーズ(クロチルド・エム)に惹かれますが、彼女はブラジル帰りの成金アルベルト(リカルド・ペレイラ)に失恋して以来、引きこもり状態で、アルベルトへの復讐を企てます。
 エリーズはディニス神父のかつての想い人ブランシュ(レア・セドウ)と親友ブノワとの間にできた娘でした。 一方、羽振りの良さでリスボン中の話題をさらったアルベルトは、その昔「もの食いナイフ」と呼ばれた男で、彼はジョアンの実母アンジェラの夫の元愛人を妻にしています。
 ジョアンはエリーズのためにアルベルトに決闘を申し込むのですが。。。

 巧みに織られた糸のように時空を超えた人間関係が交差する物語は見応え充分。でも、4時間半の間ストーリーを追うことに精一杯集中したせいか、意外に見終わった後の余韻が残らなかったのが残念です。見事な構成と美しい画像に終始引き込まれたのは確かだけど、それ程心に残るものが無かったのは、これが文学作品でも歴史大作でもなく、運命の不思議と偶然を駆使したストーリーテリングに近いからでしょうか?

 しかし、なんと言っても嬉しかったのは、上映後にメルヴィル・プポーが登場して、亡き監督の思い出や映画作りについて語ってくれたこと。
 11歳でルイス監督に見出されて以来、監督の11作品に出演したというメルヴィル・プポー。婚約者に振られ、傷心の思いでルイス監督のアパルトマンに泊めて貰った日、夜中にトイレに起きたら、書棚だらけの廊下に迷って自分の寝ていた部屋がわからなくなり、仕方ないからそのまま廊下の本棚の隙間で眠ったとか。
 その時のフィアンセとは、16歳の頃婚約してたというキアラ・マストロヤンニかな?なんて想像してしまいました。
 因みにこの映画でプポーは「ナポレオン皇帝万歳!」と叫ぶだけのゲスト出演です。
公式サイト : http://www.alcine-terran.com/mysteries/
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by cheznono | 2012-10-28 22:57 | 映画

そして友よ、静かに死ね

b0041912_0311048.jpg 男の友情を描いたフレンチノワール「そして友よ、静かに死ね」をやっと観て来ました。監督は警察映画の傑作「あるいは裏切りという名の犬」のオリヴィエ・マーシャル監督。今回も実話を元にした作品で、寡黙で思慮深い主人公モモンに扮したジェラール・ランヴァンの表情が目の裏に焼き付くような映画でした。

 70年代初めに、警察も一目置くほどの鮮やかな手口で銀行強盗を繰り返した伝説の強盗団“リヨンの奴ら”を率いたモモン。25年前にきっぱり足を洗い、今は還暦を迎えたモモン(ジェラール・ランヴァン)は、たいていの人が人生に期待するもの:成功、財産、愛する家族に信頼できる友人仲間などを全て手に入れ、穏やかな毎日を送っていました。
 そこへ13年前に姿を消した親友セルジュ(チェッキー・カリョ)がリヨンに舞い戻ったものの、張っていた警察に逮捕されたから、何とか脱獄させようという連絡が入ります。
 幼い頃、ジプシーのキャンプ出身のために学校でいじめられたモモンを守ってくれたセルジュ。以来、二人は無二の友人となり、19歳の時にさくらんぼを盗んだ罪で収監された時も一緒でした。
 
 やがて、自らの強盗団を結成した二人は、警察によるギャング一掃作戦で捕まるまでの数年間、銀行強盗で稼ぎまくり、フランス中にリヨンのギャングたちの名を轟かせる存在に。
 逮捕され服役した後、足を洗ったモモンに対し、セルジュは麻薬取引にのめり込み、今回その親分を裏切ったため命を狙われる身となり、たとえ刑務所に入っても中で暗殺される可能性が高いという危機に直面していました。
 「家族のことを考えて」と願う妻ジャヌー(ヴァレリア・カヴァッリ)には、セルジュは自業自得だよと言い切るモモンでしたが、やはりセルジュは兄弟のような存在。長年苦労をかけた妻には打ち明けずに、若い連中を使ってセルジュを脱獄させます。
 お陰でモモンは、警察と麻薬取引の組織との両方から目を付けられ、脅される身に。しかも、セルジュが裏切った麻薬組織の陰には大物がいる気配が。しかし、セルジュは自分を救い出してくれたモモンにも真相を話そうとしません。
 荒っぽい麻薬組織はセルジュの娘を狙い、モモンの自宅にも危険が迫って。。

 男同士の強い絆というテーマは「最強のふたり」と同じでも、こちらは生きるか死ぬかの綱渡りギャング人生を送って来た仲間同士なので、友情を貫くにはかなりきわどい道を歩まざろう得ず、最後には哀感漂う結末を迎えることになります。
 
 原作は主人公エドモンド・ヴィダル(モモン)による自伝「ひとつかみのサクランボのために」。ジャン・バルジャンではないけれど、閉店した八百屋から盗んだサクランボのために、半年(実際には63日)の刑務所暮しを余儀なくされたのは、モモンがフランス国籍はあるものの社会的に厳しい差別の対象にされているジプシー(ロマ族)出身だから。
 上告不可、執行猶予なしで収監されたその刑務所でモモンは強盗の極意を学び、出所後はドゴール大統領の闇組織に誘われ、本格的に強盗の道に入って行く、という運命の皮肉。
 
 サルコジ前大統領に目の敵にされたジプシーのロマ族は、キャンピングカーでルーマニアやブルガリアから流れて来る“旅する人々”で、同じヨーロッパ人でもフランス国内での就業などが著しく制限されている受難の民。未だに水道も電気も通わない劣悪な条件のスラムやキャンプ場で暮らし、仕事がないため犯罪に走る率も目立って高いため(この2年間でロマ族による犯罪は70%近くも増加)、フランスにとっては悩ましい存在です。
 政府は断続的に彼らの不法キャンプを強制的に排除しては、わずかなお金や羊を与えて、故郷にお戻り頂くよう国境まで送って行くのですが、しばらくするとまたフランスに戻って来てしまう、といういたちごっこが繰り返されています。
 ロマの人々は故国に戻っても、やはり激しい民族差別とより惨めな生活が待っているだけなのだとか。

 まるで非行の温床のように忌み嫌われるジプシーのキャンプから、モモンのような伝説のギャングが生まれ、今もリヨンの豪邸で家族や仲間を大事にしながら、穏やかに暮らしているというのはどこか感慨深いものが。
 この夏もリヨンを含むフランス各地で不法キャンプが強制撤去され、泣き叫びながら追い出されるロマ族の様子が放送されたのをモモンはどんな思いで観ていたでしょうか?
公式サイト:http://soshitetomoyo.com/
エドモンド・ヴィダルの自叙伝: Pour une poignee de cerises
http://www.amazon.fr/Pour-une-poignée-cerises-Itinéraire/dp/2749914876/ref=sr_1_1? s=books&ie=UTF8&qid=1349537149&sr=1-1
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by cheznono | 2012-10-07 00:40 | 映画

最強のふたり

b0041912_1311013.jpg オードリー・トトウの「アメリ」の記録を抜き、過去20年間に世界中で一番ヒットしたフランス映画となった「最強の二人」。昨年末から今春にかけてフランスでロングランした時は、まさに社会現象となるほど話題をさらった作品で、実話を元にしたとは容易に信じられないくらい映画らしい展開が楽しめる、それは愉快なコメディかつみごとな人生讃歌に仕上がっています。
 
 パリの豪邸に暮らす障害者のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、首から下が麻痺してしまった自身の介護者を募集。多数の応募者の中からこともあろうに移民街出身の粗野な青年ドリス(オマール・シー)を採用します。
 教養あふれるインテリ大金持ちのフィリップに対して、介護の経験はおろか真面目に仕事を探す意思さえなかったドリス。自分の邸宅内に治療室を設け、秘書はもちろんのこと専属の看護士や理学療法士を抱えるフィリップと、貧しい移民街の団地で子だくさん一家に育ったドリスとではピンキリに近い格差があり、二人の会話が噛み合わないこともしばしば。
 介護の方法も周りがハラハラするほど乱暴なドリスの、しかし、雇い主に媚びることもなく、中途半端な同情や憐憫のかけらも見せない態度にフィリップは何とも云えない居心地の良さを感じ、二人は障害者と介護補助者という関係を超えた友情を築いて行きます。
 ドリスが実は窃盗罪で服役して、刑務所から出てきたばかりと聞いてもフィリップは全く動揺しません。 初めは傍若無人なドリスに辟易していた屋敷の雇い人たちも、次第に本音で生きるドリスのユーモアや心根の優しさに魅了され、フィリップの豪邸には久々に笑いと明るさが戻って来た感じでした。 
 しかし、それもつかの間。ドリスの家族に問題が生じたことで、フィリップは住み込みのドリスを家族に戻すことを決意。 みんなに名残りを惜しまれつつ、ドリスは屋敷を後にします。
それぞれが元の自分の世界に戻ったかのようでしたが、ある夜、ドリスの携帯が鳴って。。

 診療室も医師も看護士も全て自前という主人公の金持ちぶりには目を見張りますが、実在のフィリップもコルシカ島の古くからの貴族の家柄で、幾つかの高級な不動産を相続した上、自らはシャンパンの会社で実業家として活躍。愛する妻と子供に囲まれ、理想的な生活を送っていました。怖いものなしの幸せな毎日に影がさしたのは、奥さんに乳がんが見つかってから。 
 そして、42歳の時、出張の帰りに趣味のパラグライダーを楽しんだ際、落下事故にあったフィリップは九死に一生を得たものの、四肢が麻痺して車椅子生活を余儀なくされ、辛いリハビリを受けることに。
 加えて、3年後、闘病生活を送っていた妻の一縷の望みをかけた最後の手術が失敗に終わり、最愛の人を失ったフィリップはうつ病を発症、孤独に苛まれます。
 何とかこの辛い毎日を変えたいと思っていた矢先に出会ったのが、尊大で粗野だけどとても人間的なアルジェリア系の青年だったそうです。

 フィリップは今、モロッコで現地で知り合った奥さんと二人の養子を育てながら、穏やかな日々を過ごしているとか。やっぱり人生って塞翁が馬、本当にすごい!と思わせてくれます。
 フィリップが綴った自伝を元にしたドキュメンタリーを観たのをきっかけに、映画化を成功させたのが脚本と監督を手がけたエリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュ。常に一緒に映画を作ってきたという彼らもやはり堅い絆で結ばれているのですね。
 
 文句なしのこの作品、惜しむらくは邦題がちょっと喰い足りないことかな?誰も立入ることができない友情を日本語のタイトルにするのは確かに難しいので、じゃあもっと良い題をつけてみてと云われると困るけど、「最強の」はちょっとニュアンスが違う気がするのです。
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by cheznono | 2012-09-21 01:31 | 映画

b0041912_142714.jpg ナチスドイツ占領下のポーランド、アウシュビッツ収容所で出会い、手に手を取って脱走した若い男女。しかし、逃亡生活の中で生き別れになり、互いに相手の死を告げられたため、それぞれの道を歩んだ二人が39年後に再開したという実話を元にした映画「あの日 あの時 愛の記憶」。事実の重さに圧倒されるラブストーリーです。

 1976年のニューヨーク。研究者として成功した夫(デヴィット・ラッシュ)の大事なホームパーティの日、ハンナ(ダグマー・マンツェル)はBBCのインタビュー番組を偶然観かけて、愕然とします。
 テレビで強制収容所時代の恋と脱走の経験を語っていた人こそ、ハンナをアウシュビッツから救い出してくれたかつての恋人トマシュ(マテウス・ダミエッキ)でした。
 今は優しい夫と娘とブルックリンで何不自由ない暮らしを送るハンナですが、20代の初めにユダヤ系ドイツ人のためアウシュビッツへ収容され、過酷な強制労働に耐えた過去が。
 ハンナ(アリス・ドワイヤー)が奇跡的に脱走できたのは、政治犯として収容所で働いていたトマシュのお陰でした。一時はトマシュの家族にかくまわれるハンナですが、レジスタンス運動のパルチザンとして任務に戻ったトマシュとは離れ離れに。
 トマシュの母親(スザンヌ・ロタール)に息子に災いをもたらす存在として忌み嫌われたハンナは、身重の身ながら一人で厳寒のポーランドを彷徨い始めるのでした。

 映画は30数年前に亡くなった筈の命の恩人で恋人だったトマシュが生きていると知り、動揺と混乱の中、ホームパーティを打っちゃってトマシュの連絡先を捜し始めるハンナを焦点に、過去の壮絶な体験が挿入される形で進行します。  
 ハンナを心配する夫と娘を拒絶し、トマシュとの遠い記憶をたどりながら、ひたすら彼の連絡先を問い合せるハンナがじっくりと描かれますが、印象深いのはむしろ強制収容所という極限状態の中でハンナを見初め、大いなる危険を冒して関係を持ち、ひいては命がけで彼女を守る政治犯トマシュの若い情熱と機知に富んだ脱走作戦の方でした。

 トマシュと共にレジスタンス活動に投じた兄夫婦に起こったことに象徴されるように、ソ連に侵攻され、ナチスドイツに占領された当時のポーランドの厳しい状況を踏まえると、ポーランド語を話せないハンナが一人生き延びて、米国に渡ったのはまさに奇跡としかいえません。
 しかし、何度も強調されるハンナが身籠ったトマシュの赤ちゃんはどうなったのでしょう?推して知るべし、という演出なのでしょうが、トマシュの母親や義姉がハンナの妊娠に気づかなかったとは思えないし、30数年後にハンナからその事実を打ち明けられるトマシュの気持ちにも触れられないのはちょっと不思議です。

 とはいえ、壮絶なストーリーと長い時の流れを、わずか2時間弱に収めたパメラ・カッツの脚本はたいしたもの。うら若き娘時代に悲劇的な運命を背負わされたハンナが、トマシュと夫という二人の卓越した男性の深い愛情に恵まれたことは、観客にも強い希望をもたらしてくれるように感じました。 
監督はアンナ・ジャスティス、公式サイトは http://ainokioku.jp/
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by cheznono | 2012-09-06 01:06 | 映画

b0041912_0395895.jpg これもすぐ終わっちゃうのかなって思っていたら、意外にロングランしているケベック映画「ぼくたちのムッシュ・ラザール」。アルジェリア出身の劇作家による戯曲の映画化で、あちこちで賞を獲得した佳作です。
 ナンニ・モレッティ監督の「ローマ法王の休日」も観たかったのですが、映画通の知人が「時間のムダ。観ることないわよ」と言うので、ミシェル・ピコリのローマ法王は見送ってしまいました。

 モントリオールの小学校。朝の牛乳当番のシモン(エミリアン・ネロン)が、教室で縊死している担任のティーヌを発見。学校中がパニックに陥ります。動揺する生徒たちのためにカウンセラーが派遣され、代用教師にはアルジェリア出身のムッシュ・ラザール(フェラグ)が採用されます。
 ラザール先生は、故郷アルジェリアで19年の教職経験の後、カナダに渡り、既に永住権も持っていると説明。愛情深く子供たちにも人気があった故マルティーヌとはかなり異なる授業に戸惑いを感じた生徒たちも、やがてラザール氏の暖かさや真剣さに信頼を寄せ始めます。

 子供たちの動揺を まるでマルティーヌの自死をなかったかのように、一日も早く平常を取り戻そうとする学校側。

 しかし、マルティーヌに反抗的だったシモンは、先生の自殺の原因が自分にあるのではないかと悩み、利発な同級生アリス(ソフィー・ネリッセ)は授業中に容赦なくシモンの責任を問いただして、クラスメイトを更に動揺させてしまいます。

 一方、ムッシュ・ラザールは実は難民で、国外追放の瀬戸際に立っていました。

 家庭に問題があるせいで、何かと話題を提供してしまうシモン。アリスへの淡い思いを抱きながら、担任を自死に追いやったのではないかという呵責に苛まれる姿が演技とは思えないほど自然で驚くばかり。その孤独な表情には胸を締め付けられます。

 原作の戯曲ではかなり重きを置いていると見られるムッシュ・ラザールの過酷な経験。映画でも痛ましい過去を持つ彼の内的描写があれば、作品に深みが増したのではと思うとちょっと残念ですが、最後の授業でラザール先生が語る「木とさなぎ」の話は示唆に富んでいて、子供たちにも観客にもいろいろなことを問いかけているよう。

 ケベック映画にしては仏語が聴き取り易いのも助かりました。カナダ映画は英語も仏語もかなり独特の発音が飛び交うので、フランスで公開される時も、わかりにくい人のセリフには字幕が入ることがあるくらい。この作品でも、教員会議のシーンでは、あっけに取られるような発音の男性教員がいて、地域性を強く感じさせられました。
監督はカナダ出身のフィリップ・ファラルドー。
公式サイトは http://www.lazhar-movie.com/
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by cheznono | 2012-08-28 00:52 | 映画

屋根裏部屋のマリアたち

b0041912_23571057.jpg 猛暑を吹き飛ばしてくれるような爽やかな気分が味わえる「屋根裏部屋のマリアたち」。古き良き60年代が舞台のコメディとあって昨年前期のフランスでロングランした、それは楽しい映画です。ストーリーの展開はオーソドックスだけど、フランス映画らしい魅力が光るこの作品、中年男性には憧れの《真夏の夢》に近いかも知れません。

 1960年代初頭のパリで、妻シュザンヌ(サンドリーヌ・キベルラン)と二人の息子と模範的な家庭を築き、いささか格式張った生活を送っている株式仲買人ジャン=ルイ(ファブリス・ルキーニ)。シュザンヌがスペイン人の若い家政婦マリア(ナタリア・ベルベケ)を雇ったことから、これまで知らなかった世界に触れ、人生が変わり始めます。
 ジャン=ルイのアパルトマンの屋根裏部屋では、フランコ政権のスペインから逃れて来た家政婦たちが、力を合わせて仲良く暮らしていました。
 つましいながら同郷の家政婦たちと助け合って、生き生きと働くマリアの率直さやエスプリの利いた受け答えに惹かれたジャン=ルイは、次第にマリアとその仲間たちと親しくなり、その紳士的な態度で、家政婦たちからも信頼される存在になります。

 家政婦たちのパーティに呼ばれ夜遅く帰宅したジャン=ルイは、シュザンヌから思いがけず女性客との浮気を疑われ、部屋から追い出されたため、屋根裏部屋に直行。暖房もない粗末な小部屋に落ち着いたジャン=ルイは、生まれて初めて自分だけの空間を持った自由を味わいます。
 親の家業を継いだジャン=ルイは、仕事も義務でこなす毎日で、スノッブなブルジョワ的マダムのシュザンヌとの生活も形式ばかりが優先され、自分の意志で思い切り自由を味わった経験がなかったのです。

 陽気なスペイン女性たちに囲まれて、屋根裏部屋暮らしを楽しむジャン=ルイはついにマリアの愛も獲得。しばし幸せな時が流れますが、ある日突然、マリアが姿をくらましてしまうのでした。

 地方出身で、中産階級のパリジェンヌの家庭はこうあるべきという意識が強いシュザンヌと、聡明で飾り気がないマリアを初め、貧しいながら異国でたくましく暮らすスペイン女性たちのコントラストは、今も変わらぬフランス人とスペイン人の気質の違いに通じていて面白いです。

 私の南仏体験は、バラ色の街と呼ばれるトウールーズから始まるのですが、その時に滞在した屋敷で働いていた親切な家政婦さんもスペイン出身のマリアでした。既に21世紀だったので、そのうちマリアも定年を迎えたのですが、代わりの家政婦が見つからないからと、雇い主のマダムに拝まれて、週3日だけ通う契約にしていました。
 彼女もフランコ軍事政権から逃れるため、ピレネー山脈を超えてフランスに亡命した家族の一員で、私の好きなトルティーヤやスペイン風ケーキを焼いてくれたのが懐かしいです。
 トウールーズはピレネーに近いため、60年代にたくさんのスペイン人が流入し、今なおスペイン系が多い街ですが、この映画のマリアのように親戚を頼ったり、仕事を求めてパリに渡ったスペイン人も少なくなかったのですね。
監督は脚本家歴も長いフィリップ・ル・ゲー。
公式サイト:http://yaneura-maria.com/pc/
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by cheznono | 2012-08-05 23:57 | 映画