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ジャコバン修道院

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 日本では鎌倉時代だった13世紀、南フランスの文化と経済の中心地だったトゥールーズには、カタリ派の住民もたくさんいました。が、カルカッソンヌの悲劇の頃、ローマ法王の命を受けたアルビジョワ十字軍はトゥールーズやアルビの街を焼き払い、多くの市民を虐殺してしまいます。そして、トゥールーズにドミニコ会最初の修道院を建て、カトリックの教義とは違う異端とされたカタリ派を一掃する役目を担う拠点としたのでした。
 結局、アルビジョワ十字軍はカタリ派に対して極悪非道を尽くした挙句、信者達を火あぶりにして壊滅させてしまいます。お陰で独自の文化を誇って繁栄していた南フランスは北フランスに屈し、この宗教対立はその後もこの地方に深いトラウマを残したようです。
 ゴシック様式のジャコバン修道院は礼拝堂の天井が星型になっていて、見上げると椰子の木のように見えるのが有名で、去年はエリザベス女王も観賞しました。修道院の中庭側に入ると旧市街の喧騒がウソのように静寂とした美しい回廊が続き、すくっと立っている糸杉の向こうに見える鐘楼の姿も印象的。中世にはこの修道院のドミニコ修道会がカタリ派撲滅の根拠地となって指揮をふるっていたなんて想像もできません。今は回廊の奥が美術館となっています。
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by cheznono | 2005-05-31 23:40 | 不思議の国フランス

バラ色の街

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 カルカッソンヌやベジエでカタリ派が十字軍に迫害された時代、南フランスで大きな権力を持っていたトゥールーズ伯爵。パリから見れば田舎貴族に過ぎない伯爵でしたが、、吟遊詩人に囲まれ、オック語を話し、その繁栄の中心地トゥールーズで独特の宮廷文化を築いていました。南仏の中でも特に訛りが強く、雑然とした田舎の都会というイメージの今のトゥールーズからはその宮廷文化の名残りが伺えないけれど、今でもブルジョワの多い地域です。
 日本のツアーはプロヴァンスからカルカッソンヌを訪問して、そのままボルドーに向かうことが多く、トゥールーズは産業都市として敬遠されがち。でも、欧米人の観光客にはとても人気があって、ガロンヌ河のピンク色の粘土から作られた赤レンガ造りの町並みが夕陽に映えて美しいためバラ色の街と呼ばれ、活気のある大学町、かつエアバスの生産地です。バラ色とは言っても赤レンガ色の旧市街はどうみても赤い街に見えるのですが、赤いというと共産党のシンボルのように聞こえるからやっぱりバラ色と呼ばなくちゃ、なのだとか。リヨンやボルドーなどの石造りの都会から来ると、この街の赤い家並みが陽光を浴びている風景にほっとさせられます。
 ルネッサンスにはブルーのバステル染料の交易で更に発展し、富を得た商人達は高い塔のあるりっぱな屋敷を競って立てました。アセザ館のように今では見応えのある美術館になっている建物もあります。その頃のトゥールーズはスミレの栽培でも知られ、今でもスミレの砂糖漬けや香水がお土産として好評です。
 ピレネー山脈に近いトゥールーズ。フランコ政権時代にはたくさんのスペイン人が逃げ込んで来たこともあって、スペイン系の人も多くスペイン料理や歌も楽しめる街です。
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by cheznono | 2005-05-30 18:16 | 不思議の国フランス

カルカッソンヌの悲劇

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  「キングダム・オブ・ヘブン」で見た悲惨な攻防戦は、この頃同じように城塞都市カルカッソンヌにろう城し、アルビジョワ十字軍に滅ぼされたカタリ派(アルビジョワ派)の悲劇に重ね合わせずにはいられません。13世紀の頃、ローマ法王庁を中心としたカトリックの聖職者達はかなり堕落した生活を送っていたようです。対して、キリスト教の異端とされたカタリ派は禁欲的な戒律を守り、輪廻を説きベジタリアンで穏健な宗派だったため南フランスで信者を増やし、その信仰はアルビやトゥールーズからニーム辺りまで広がって行きました。
 カタリ派の影響に恐れを感じたローマ法王は、アルビジョワ十字軍を南仏に派遣してカタリ派撲滅を図ります。当時、南フランス王のような権力を持っていたトゥールーズ伯爵の家臣、24歳のトランカヴェル子爵はカタリ派を擁護して、“難攻不落”の城塞カルカッソンヌにろう城するはめになりました。しかし、押し寄せるアルビジョワ十字軍の猛攻撃には勝てず、城塞内で2週間立てこもった後、若き子爵がだまし討ちのような形で捕えられてしまったためカルカッソンヌは降伏、住民も多数犠牲になってしまいます。
 もともとプロヴァンス地方を初め、南フランスは豊かな土地柄で産業も発展していたため、イタリアやスペイン、サラセン人などあちこちから狙われていました。十字軍のカタリ派攻撃も、名目はカトリックの異端を成敗するということでしたが、実際は南仏のあちこちに広大な領地を所有して繁栄していたトゥールーズ゙伯爵やトランカヴェル家の豊かさが、ローマ法王の嫉妬と不興を買ったと言われています。結局アルビジョワ十字軍は、100万人もの犠牲者を出してカタリ派の信者を根こそぎ全滅させてしまいました。が、今でも南仏にプロテスタント信者が多いのはこのカタリ派の精神を引き継いでいるからだそうです。
 カルカッソンヌの城壁の上に立って、遠くピレネー山脈へ続く景色を見下ろしても、中世の悲劇は想像できないほど穏やかな風景が広がるばかり。しかもシーズン中は狭い城塞内が観光客で埋め尽くされるからとても賑やかです。でも人気の少ない季節には、立ち並ぶ塔の間を絶えず吹きすさぶミストラルのような風に何となく物哀しい気分にさせられるので、城塞のたどって来た波乱の歴史を偲ぶには持って来いかも知れません。
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by cheznono | 2005-05-29 00:59 | 不思議の国フランス

b0041912_1171719.jpg 楽しみにしていた壮大な歴史大作、リドリースコット監督の「キングダム・オブ・ヘブン」、気合いを入れて観に行って来ました。
 12世紀の初め、突然フランスの鍛冶屋バリアン(オーランド・ブルーム)の前に父と名乗る十字軍の大物騎士ゴッドフリーが現れ、バリアンも成行きでエルサレムに旅立つことになります。父親の死後、エルサレム王と共にキリスト教徒とイスラム教徒とが共存できる理想の王国:キングダム・オブ・ヘブンを築きたいという父の遺志を継いで、聖地エルサレムに到着したバリアンは、エルサレム王の妹シビラと恋に落ち、やがて、フランス貴族達の蛮行によって休戦が破られたため、イスラム教徒との凄惨な戦いに巻き込まれて行く、という内容です。
 11世紀末、ローマ法王の命によってイスラム教徒から聖地エルサレムを奪還するため第1回十字軍が派遣され、エルサレムを攻略しましたが、その際、十字軍の兵士達はイスラム教徒の住民を7万人も虐殺。その後しばらくの間、キリスト教徒とイスラム教徒が共存していたけれども、イスラム勢力が盛り返したためにキリスト教徒が危機を感じてまた十字軍の結集を呼びかけ、という時代背景の中で、バリアンは民衆を守るため、イスラムの英雄的指導者サラディンの大軍相手にエルサレムを死守することを誓い、命をかけてろう城作戦を取るのですが、、
 「ロード・オブ・ザ・リング」ではなんて金髪の美しい青年だろうと思い、「トロイ」では兄王子のエリック・バナに比べなんて頼りなく軽率でかわいい弟と思ったオーランド・ブルームが、この映画では一変して陰のある十字軍の騎士を演じ、その精悍な姿にはうっとり、2時間半もそれ程長く感じませんでした。が、終わった後、特に何も残らなかったのが淋しかったです。
 異教徒を殺しても罪にはならないというキリスト教徒のご都合主義や、聖地奪回という名目の十字軍も実際は貧しさから一旗揚げたい兵士らが、エルサレムで富と権力に群がる貴族達に従っただけという図式は今の中東情勢への批判と受け取れるし、バランス感覚のある伝説のイスラム教指導者サラディンの描き方にも共感できます。でも、主人公のバリアンが鍛冶屋から英知と剣にたけた聡明なリーダーとなってゆく重要な過程が結構唐突で簡単過ぎて不自然な感じが否めないし、彼が「民衆を守るために」と決めた壮絶な戦闘も双方にこれだけの犠牲者を出しては何とも矛盾した論理ではないかと釈然としませんでした。戦闘シーンよりも異教徒との平和な共存を模索するという大テーマをもっと強く描いてほしかったです。
 王女シビラ役のエヴァ・グリーン、どこかで観たと思ったらベルトルッチ監督の「ドリーマーズ」のヒロインだったんですね。王女とバリアンとの恋は淡々としていて良かったです。
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by cheznono | 2005-05-27 01:26 | 映画

フランス人の味覚

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 フランスのお菓子はおいしい!ってよく聞きますが、甘い物がそれ程好きではない私はどちらかというと日本のお菓子の方に軍パイをあげたくなります。日本のケーキはサイズが小さくて甘さ控えめ、ショーウィンドウの中も衛生的で清潔そう。きれいにお菓子を積み上げているお店でもハエが飛んでたりするとうーむとうなってしまうようなフランスのお菓子やさんとは一線を画している気がします。でも日本の手作りお菓子はお値段が高めなのが玉に瑕かな。
 デザートに関しても、やっぱりフランス人とは味覚が違うなあって感じることがあります。例えば私にはすごく甘いあずき餡入りの最中を日本の伝統的なお菓子だよってあげたのに、友人らが「全然甘さを感じないけど?」なんて言いながらほおばるのを目の当たりにすると、ひょっとしてこの人達はバターや生クリームがこってり入ってないと物足りないのかなって首を傾げたくなります。虎屋のミニ羊羹をあげた時も、「すっごくお腹がすいてたから何とか食べたけど、パテみたいで変な味だった」と言われてがっかり。甘いクリームの中に入ったご飯は食べるくせに、小豆のようにお豆を甘く煮るという調理法が苦手なんて、何だか納得できないのですが。
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by cheznono | 2005-05-25 17:17 | 不思議の国フランス

クレープの作り方

b0041912_2255444.jpg ブルターニュの郷土料理でシードル(リンゴ酒)と食べるクレープ。今やフランス中どこにでもクレープ料理のレストランがあるし、男の子でもちょっと気の利いた子なら小腹がすいた時にささっと自分で作ってしまう程、簡単便利。とはいえ、不器用な日本人の私にはクレープ地をうすーく焼いてフライパンの上でポーンと威勢良くひっくり返す芸当ができないのが悔しい所です。
 クレープレストランでは大抵メインに塩味のクレープを食べて、それからデザート代わりに甘いクレープを食べます。南仏のクレープで私のお気に入りは、ラタトイユをクレープ地に包み込んだプロヴァンサル。サーモンと生クリームや海の幸を入れるノルディックも大好きです。
 クレープのレシピはいろいろなバージョンがありますが、家で作る時はごく簡単なのを参考にしています。
材料: 小麦粉(またはそば粉)125g、サラダ油大匙2杯、卵2個、塩少々、牛乳250ml、水大匙2杯、ビール100ml
①ボールに小麦粉と塩(カマルグの塩かゲランドの塩がベスト)を入れ、卵を1つづつ割り入れる。
②①に牛乳をゆっくり加えて良く混ぜ、サラダ油、水とビールを加えて全体をよく混ぜ合わせる。
③②を1時間~2時間寝かせる。
④フライパンで薄く両面を焼く。
 焼きあがったクレープにチーズやハム、スモークサーモンなどお好みの具を包み込んで食べます。デザート用は、クレープに砂糖をまぶすだけのシンプルな物から、チョコレートクリームやジャム、生クリーム、アイスクリームなどを包むなどこちらもお好みで。 写真はサンポールのクレープレストランです。
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by cheznono | 2005-05-23 23:26 | いつもの暮らし

プロヴァンスのお菓子

b0041912_031679.jpg プロヴァンス地方のお菓子というとエクスのカリソンやアプトのフリュイ・コンフィ(フルーツの砂糖漬け)、チョコレートでできたオリーブの実等がお土産としても人気ですが、私のお勧めはナヴェットとクッロケ。どちらもビスケットのようなさくっとした焼き菓子で、甘さ控えめです。
 ナヴェット(写真右側)は昔の機織機に使われた舟形のシャトル(杼)から来た名前で、小麦粉とバターをベースにしたパリッとした焼き菓子。パン屋さんやマルシェでもよく量り売りされていますが、お店によって味に結構当たり外れがあるので、気に入ったナヴェットを見つけるまで少しずつ買って味見するのも楽しいかも。味にもいろいろあって、オレンジの花水入りやレモン、ラベンダー、ヘーゼルナッツ等など、それぞれの風味が楽しめます。
 クロッケはクッキー地を薄く切って硬く焼いたようなお菓子で、砂糖はごく控えめ、小麦粉やエジプト麦の粉と卵、ミルクなどをベースに、アーモンドを入れたり、ラベンダーを混ぜたり、アペリティフ用にオリーブやドライトマトを刻み込んだりした物がポピュラーです。特にお勧めなのが干し杏を刻み込んだクロッケ。甘いずっぱい杏と硬い焼き菓子のハーモニーが抜群て、おやつにもワインのおつまみにもなるので便利です。でも、甘党の人にはカリソン(アーモンドのペーストに砂糖をコーティングしたお菓子)やチョコレート製オリーブの実の方が受けるかも知れませんが。
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by cheznono | 2005-05-22 00:53 | プロヴァンス賛歌

グリニャン城

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 フランスの南東部で一番美しいルネッサンス様式のお城といわれるグリニャン城。ヌガーで有名なモンテリマールとローマ遺跡の残るオランジュとの間にあります。16世紀から17世紀の建築の特徴をよく踏襲している優雅な居城でしたが、フランス革命の時に城の一部が破壊されてしまい、20世紀になってから完全に修復されて一般公開されています。
 フランスのお城は城内を巡るガイドツアーに参加するとお城のたどって来た歴史や各部屋の役割がわかって面白いのですが、このグリニャン城の城内ツアーもお勧めです。セヴィニエ夫人や娘のグリニャン伯爵夫人の過ごした部屋を周りながら、壁のタペストリーやアンティーク家具などの説明を聞いていると、往年のプロヴァンスの貴族の生活が何となく目に浮かんで来るような感じがしてきます。
 グリニャン城では定期的にクラシック・コンサートやジャズ・コンサートも開かれています。更にこの辺り(ドローム・プロヴァンサル地方)はラベンダーとワインでも知られていて、7月8月はお城から眼下に広がるラベンダー畑も楽しむことができるでしょう。
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by cheznono | 2005-05-20 18:17 | プロヴァンス賛歌

フランス一の美女

b0041912_16445746.jpg セヴィニエ侯爵夫人が溺愛した娘、フランソワーズは当時フランス一美しいと称えられ、グリニャン伯と結婚するまで7回も婚約を繰り返したそうです。ついに23才でハンサムでも若くもないけれど誠実なグリニャン伯爵と結婚。既に二人の前妻を亡くした伯爵にとっては三番目の妻となりました。フランソワーズは、パリで長女を出産すると赤ちゃんをセヴィニエ夫人に託して、ルイ14世からプロヴァンス総司令官に任じられた夫を追って南仏に向かいます。止めるのも聞かず、娘が華やかなパリの生活や自分を捨ててプロヴァンスに下ったことはセヴィニエ夫人を嘆き悲しませました。でもあふれんばかりの母の愛情に対して、娘の反応はとても冷ややかだったようです。
 その後、フランソワーズは何度かパリに戻って長期滞在もしますが、その度に大歓迎した母親には無関心で強い母性愛もうっとうしく感じられ、喧嘩も絶えなかったとか。娘が母親に反発するのは当たり前ってフランス人マダムから聞いたことがありますが、フランソワーズのクールな態度は、陽気でエスプリに富んだセヴィニエ夫人をかなり参らせたようです。面白いことにセヴィニエ夫人は息子のシャルルには友情や兄弟愛に近いものを感じていたらしく、娘に注いだ愛情とは違って気の合う仲間のように接していたみたいです。
  グリニャン伯爵はプロヴァンスの名家出身でしたが、伯爵夫妻は借金を抱え、セヴィニエ夫人は二人のお金問題にも心を砕いていました。セヴィニエ夫人は持ち前の明るさで宮廷などでの出来事を生き生きと描写してはウィットに富んだ手紙を娘に書き綴りますが、フランソワーズの方は冷淡な態度を変えませんでした。
 それでもセヴィニエ夫人は遺言でも息子より娘に有利な内容を書き残しているから、よほど娘のことが心配だったのでしょうね。
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by cheznono | 2005-05-18 17:12 | 不思議の国フランス

セヴィニエ夫人

b0041912_0504080.jpg レ・ゾリヴァードが特に力を入れた生地の中に、セヴィニエ侯爵夫人の時代を復活させたプリントがあります。マリー・ド・セヴィニエは、「クレーブの奥方」の作者ラ・ファイエット伯爵夫人とも親しく、プロヴァンスのグリニャン伯爵に嫁いだ娘に宛てた手紙が後に本となったため、書簡文学の先駆者と言われたマダムです。
 幼くして両親と死別したマリーはでも充分な教養を身につけ、18歳でハンサムだけど浮気なセヴィニエ侯爵と結婚、二人の子供に恵まれました。が、喧嘩っ早い夫は決闘で倒れ、マリーは25歳で未亡人となってしまいます。この時代の貴族にしては珍しく、その後は再婚せずに、子供への深い愛情と社交界での生活を選んだようです。
 当時フランス一の美女と呼ばれた長女が結婚し、グリニャン伯爵夫人としてプロヴァンスへ向かうとマリーは寂しさに耐え切れず、週に2,3通の頻度で手紙を娘に書き送り、その合計は1500通を超えました。娘だけでなく息子やいとこ達にもマメに手紙を出し、近況や宮廷での出来事を報告しています。今ではその内容がベルサイユ宮殿での日常などルイ14世時代の貴族の生活を知る情報の宝庫となっています。娘のために美しい布地を探すというような母らしい心遣いも随所に見られるし、コンデ大公がシャンティ城でルイ14世ら500人を招いて一世一代の大宴会を催した時、金曜日のメニューの魚の到着が遅れたために責任を取って自殺した料理長ヴァテールのエピソードも、招待客の一人だった彼女が娘に書いた手紙によって後世に伝えられました。
 最愛の娘の住むグリニャン城にも何度か通い、最後もこの城で迎えました。城内には今もセヴィニエ夫人の部屋が残されています。マリーは教育ママで、特に娘を溺愛し過ぎたとも言われていますが、教養が高く芝居やコンサートに通い、太陽王ルイ14世の社交界を楽しみ、あちこちの城を行き来し、その傍らひたすら手紙を書きまくったというエネルギーには感服します。個性的でとても魅力のある現代的な感覚の持ち主で、当時としては新しいタイプの美女だったのではないかと思うのです。
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by cheznono | 2005-05-17 01:47 | 不思議の国フランス