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上海の伯爵夫人

b0041912_23553959.jpg 土曜日はやっと上野にベルギー王立美術館展に出かけ、フランドル派の絵画やルネ・マグリットのシュールな作品を鑑賞し、日曜は「上海の伯爵夫人」を観て、近代史に思いを馳せて来ました。イスマイル・マーチャントとジェームズ・アイボリーチームの最後の作品は、ラブストーリーというよりも日本軍の上海侵攻直前のフランス租界で何とか生き延びようとする外国人の姿を描いた見ごたえのある2時間16分でした。でも、列強諸国に翻弄される上海の中国人たちは、みごとに背景にしかなっていない点がちょっと引っかかる作品でもありました。
 ロシアから上海に亡命した伯爵夫人ソフィアは、愛する娘と婚家である公爵家の義父母と義妹をも養うために、夜な夜な濃い化粧をしてはクラブに出てホステスとして働きます。一方、外交官時代は切れ者だったアメリカ人ジャクソンはテロで娘を亡くし、自身も視力を奪われ、今は上海に理想的なクラブを開くことだけを夢見る毎日。そんな彼に素性の知れない日本人のマツダが接近します。
 大金を作り、偶然知り合ったソフィアを店のホステスとして厚遇で雇い入れたジャクソンは、理想のバー《白い伯爵夫人》を開きますが、何か物足りないことに気づきます。彼の虚しい心の隙間をつくかのように店についてアドヴァイスをするマツダ。一方、ベッドも足りないような貧乏暮らしに甘んじているソフィアの家族は、彼女の稼ぐ日銭で食べていることに感謝するどころか、ロシア貴族である一族の嫁がホステスに身を落としたことを蔑むばかり。そして、昔のつてを頼りに出かけたフランス領事館で知人と再開した老公爵夫妻は、ロシア貴族の多い香港に脱出するヴィザを手配して貰うのですが、なぜか嫁ソフィアの分だけは手に入らず。。家族に裏切られたソフィアとマツダにはめられたジャクソンがさまよう上海に日本軍が爆撃を仕掛け、港が火に包まれていきます。 
 ヴィスコンティにも通じるような貴族の終焉、祖国のために働き、それゆえにテロに巻き込まれたアメリカ人外交官、同じく祖国のために画策をしては侵略戦争への布石を敷いて行く謎の日本人。第2次大戦目前の混沌とした上海で、自分の気持ちを抑え、運命に抗うこともせずに時代状況の変化を受け止める異邦人たちの心情には、「日の名残り」の主人公にも共通するカズオ・イシグロの一貫した美学を感じ、心に静かな余韻の残る作品でした。
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by cheznono | 2006-11-28 01:16 | 映画

新品、それとも古着?

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 東京でもあちこちに古着を扱うお店が増えて、広い売り場面積に冬物がサイズ別にダーっと並んでいるのを見ると、買う気がなくてもついつい立ち寄ってしまいますが、フランスでも以前から古着のブティックが人気です。個性的なおしゃれ、他人と違った自分らしいスタイルにこだわるフランス人は、しょっちゅう流行のお店を巡るついでに古着屋さんにも出入りしています。何せ世代に関係なく統計上の平均月収は20万そこそこの国だから、いくらおしゃれが好きでもファッションにかけられる予算は限られるわけで、ましてやお金のない学生には、冬のコートが10ユーロで見つかったりする古着屋さんは心強い味方でしょう。
 パーティ用のドレスやお呼ばれ用のスカートはオート・クチュールとまでは行かなくても馴染みのクチュリエにデザインを相談して仕立てさせている知り合いの貴族出身のマダムも、普段着は意外にマルシェの5ユーロ前後の安物や古着屋を利用しています。もちろん、ソルドまで待ったら、お高いブティックでまとめて買物をしますが、日ごろは若者向けの安いお店を覗き、見ていると5つも6つも選んでは心行くまで試着して、結局どうもピンと来ないからと言って何一つ買わないで出てくることもしばしば。これには初め私もびっくりして、これだけ着て買わないでさよならとは、他人事ながらお店に申し訳ないような気持ちになったくらいです。確かヨーロッパのお店では、《買うと決める前にやたら商品に手を触れない》が原則と聞いていたのに。
 でも、こういう振舞いは手ごろな価格の洋服店では当たり前のことでした。試着する際に売り物の服に口紅や頬紅がついたり、長い爪で引っ掛けてしまったり、その程度のマナーの悪さはへっちゃらの女性も多いので、特に大きなブティックで品物を選ぶ時は要注意です。ニースのある人気衣料品店は3フロアーともいつもわんさか混んでいるため、試着室の前には長い列ができることもしばしば。でも、このお店は「試着室が混んでいるので店内で試着なさる必要はありません。まず買って帰って、おうちで試着して下さい。そして、サイズやイメージが合わなければ、返品や交換をなさって下さい。」と奨励しています。とにかく買ってみて、気に入らなかったら返品交換する。通信販売の商品と似たような発想かも知れませんが、お店のこうしたアナウンスを聞く度に、まず買って家で試着を勧めるなんて、顧客とお店にとって本当に効率的なのだろうかと不思議ですが。
 因みにくだんのマダムにはお気に入りのお嫁さんがいて、待望の初孫が生まれた時、どうせ短期間しか使わないからと中古の乳母車を買うことをお嫁さんに提案し、ベビー服もマルシェで衣装箱2つ分も買い込んでプレゼントしました。でも、美人で知的なお嫁さんは「私の赤ちゃんに中古の乳母車を買い与えたら、この子の人生は中古で始まることになるから絶対イヤ。」と言って、だんなの説得も聞かずに新品を買いに走っていました。ベビーの揺りかごは先祖代々伝わって来た艶のある木製、つまり立派なアンティークを贈られていたのに、それだけでは満足できなかったようです。
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by cheznono | 2006-11-23 00:23 | いつもの暮らし

フランス式チープシック

b0041912_0501620.jpg このところさすがに11月らしい気温になって来たので、重い腰を上げて冬物との入れ替えと洋服の整理を始めました。もう着る機会はないかも知れないけれど、それ程着てないから捨てるにはもったいないという服の多いこと。取っておくか処分するか、この決心がつかない服がたくさん収納に詰まっています。
 そういう中で、色が今ひとつとか、洗濯で色が褪せたような気がするといったような服をより分けてダイロンで色染めしてみると、これが面白くて、かなりはまっています。今日はブルー系の日と決めると、その日は明るいブルーに染めたいセーターやプルオーバーを3つくらいまとめて染めては、元の地色や素材によって仕上がりの色の違いを楽しんでいます。うまく行くと古着が生き生きと蘇った感じで、まるで新品を買って来たよう。所詮は古着なので、染色中に一生懸命かき回しても失敗して、結果的にムラに染まってしまってもあまり落込まないようにしています。
 アパルトマンに住んでいる人口の多いフランスでも、日本同様たいして収納に恵まれているわけではないので、いくらファッションの国とは言え女性達はめったいに着ない洋服まで寝室に溜め込んでおくわけには行きません。そのため、自分の着なくなった服を友人知人に譲るのが日常化しています。年配の女性でもそれ程年齢にこだわらないで洋服を選ぶため、パーティで数回着ただけの身体にぴったりしたワンピース、胸の大きく開いたプルやミニスカートなど、親戚や知人の若い女性にあげても喜ばれる場合が多いようです。それに、他民族国家ということもあって、週に何回かお掃除に着てくれる女性や子供の面倒を見てくれるオペアガールやベビーシッターをわずかな謝礼で雇っている家庭もよくあり、そういう自宅に手伝いに来てくれる女性に洋服をあげるのもよくある光景です。これは、19世紀のようにお手伝いさんにお下がりをあげるといったような感覚ではなくて、親近感のなせるわざといったようなニュアンスで、もらう方もあっけらかんと喜んでいるように見えます。若い学生たちは、安いけど縫製の良くない、洗うと色が抜けてしまうような服を買ってたりするので、年上の女性が譲ってくれる質が良い洋服は、お財布にも嬉しいのでしょう。つづく
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by cheznono | 2006-11-18 01:47 | いつもの暮らし

藤田嗣治と南仏

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 ベルエポックの終盤に大志を抱いて渡仏し、やがてエコール・ド・パリで頭角を表して、世界に知られる画家となった藤田嗣治の生涯について書かれた、湯本かの子著「藤田嗣治:パリからの恋文」をとても興味深く読みました。野心に燃えた若きパリでの日々、第一次大戦中の貧乏生活、派手な女性関係、フランスでの成功と帰国後に軍からの要請で描きまくった戦争画の数々。それゆえに永久に故国を捨てざろう得なくなった敗戦後など、藤田嗣治の数奇な一生を綿密な資料の分析によって解明している力作です。
 その本の中に、酒と麻薬におぼれて身体がボロボロになったモディリアーニの療養のため、フジタもスーティンらと共に南仏への静養旅行に同行するエピソードが出て来ます。映画「モディリアーニ」でもこの南仏行きが描かれていましたが、なぜかフジタの存在は省かれていましたね。当時、ニースの隣町カーニュ・シュル・メールのはずれに晩年のルノワールがアトリエを構えていて、リューマチに苦しみながらも尚、精力的に創作活動を続けていました。モディリアーニやフジタの一行は、南仏滞在中にカーニュのルノワールを訪ね、藤田嗣治はこの印象派の老画家の存在感に圧倒された模様です。
 ルノワールのアトリエはカーニュの海を見下ろす丘の中腹のオリーブ林の中に立ち、今は美術館として観光客を惹きつけています。カーニュの丘をさらに上ってゆくと、細い石畳の道が連なる城壁に囲まれた鷲ノ巣村オード・カーニュたどり着きます。紅葉の季節は特にしっとりとして趣きのある中世の村オード・カーニュ。その頂上に立つのは、光をうまく取り入れた設計で居心地の良さそうなグリマルディ城。モナコを支配したジェノバの豪族グリマルディ家の宮殿です。このお城の中には、美術館やオリーブ博物館も入っていて、小さいながらなかなかの見ごたえ。そして、城の奥に進むと壁面いっぱいに同じ女性の肖像画が展示されている部屋に突き当たります。
 オカッパ頭のこの肖像画のマダムはスージー・ソリドールで、20世紀中ごろのパリでは有名な女性でした。パリでキャバレー(ナイトクラブ)を経営していたスージー・ソリドールは歌手でもあり、魅力的な容姿と男性的な低い声の持ち主だったそうです。でも、彼女は公然としたレズビアンで、まだ偏見の強かった当時のフランスでは異色の存在でした。絵画のモデルも務めていたスージーは、当代一の著名な画家に次々に自身のポートレートを描いてもらい、そのコレクションは200枚以上になります。カーニュのグリマルディ城に飾られているのはそのうちの40枚。ジャン・コクトーやマン・レイ、マリー・ローランサンなどが描いた肖像画に混じって、藤田嗣治の「スージー・ソリドールの肖像」も展示されています。
 彼女のナイトクラブは第2次大戦中、ドイツの兵士に人気だったため、戦後はナチスへの協力を疑われ、一時追放までされたとか。人生の後半はカーニュに移ってナイトクラブを開き、最後もこの町で荼毘に付されたスージー・ソリドール。彼女もフジタと同様に2度の大戦に翻弄され、数奇な運命をたどった一人と云えるのではないでしょうか。
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by cheznono | 2006-11-12 01:40 | コート・ダジュール散歩

ニースでオペラを

b0041912_17183632.jpg バイエルン国王ルートヴィヒが次々に幻想的なお城を建設し、彼のソウルメイトだったとも言われる従姉妹のエリザベートが自由を求めてウィーンの宮廷を脱出しては旅行や保養に出かけていた19世紀後半、フランスはベルエポックを迎えていました。いわゆる『芸術や文化が花開いたよき時代』です。
 1860年までイタリア領だったニースが最も華やかな時期を迎えたのもこの頃で、イギリスやロシアの貴族や芸術家たちがコートダジュールに集い、社交にいそしんでいたようです。ニースは王室にももちろん人気の避寒地で、エリザベート皇后と並ぶ美しさと評判だったナポレオン3世の妃ウージェニーや彼女を目をかけたヴィクトリア女王、ベルギーのレオポルド2世、スウェーデン王のオスカルなどが次ぎ次に訪れました。この時期、ニーチェやチェホフもニースに滞在しています。
 王侯貴族の社交に欠かせないものはもちろんカジノとオペラ座。モナコなんてカジノとオペラ座が繋がっていますね。まあ、モナコのカジノはパリのオペラ座を設計したシャルル・ガルニエの作だから、カジノとオペラ座の合体は当然といえるのかも知れませんが。
 ニースの旧市街にあるオペラ座は小さめですが、パープルとゴールドの装飾が美しい内装で、今も秋から冬にかけて魅力的なプログラムを組んではニースの文化活動を担っています。オペラも一番安い上階の席は10ユーロ位からあって、誰でも手ごろに楽しめるような料金設定ですが、安いのはベンチのような自由席のため。なので、このチケットを買った場合は、開演の1時間ほど前からオペラ座の前に並んで、場所取りをしなくてはいけません。しかも、座席の収容数を軽く上回る数のチケットを平気で売り出します。
 このニースのオペラ座は、1881年、ヨーロッパから集まった貴族たちがオペラを楽しんでいる最中に大火事となり、パニックに陥った客たちが逃げようとした非常口に鍵がかかっていたため63人もの犠牲者を出した悲劇的な過去があって、今の建物はその3年後に再建されたもの。だから、去年の暮れに「ファウスト」を観に行った際は、もしかして幽霊が出るのでは?と内心不安な気持ちで暗い客席を見回したものでした。
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by cheznono | 2006-11-05 18:25 | コート・ダジュール散歩