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王の男

b0041912_22211421.jpg 文句なく面白かったです、「王の男」。韓国の彩り豊かな風俗と主人公たちの達者な芸、そして深い愛情に触れることができて、たっぷり見ごたえのある時代劇でした。
 16世紀の初め、日本では戦国時代の真っ只中、残酷で為政を省みないと悪名高い若き暴君燕山君に召抱えられることになった旅芸人のチャンセンと女形のコンギル。燕山君は幼い頃母を毒殺され、父王にはコンプレックスを感じながら育ったという過去のためか、かなり偏った性格で、若くして王座に付いてもキーセンを相手に遊びたわむれていたので、重臣たちは手を焼いていました。大道芸で王を侮辱した罪に問われたチャンセンとコンギルでしたが、九死に一生の危機を何とか逃れ、王に気に入られて宮廷に住むことになったのもつかの間、身分の卑しい芸人たちまで身近に置いて、飲めや踊れやの騒ぎを繰り広げる王への反発から、家来らの芸人たちへの風当たりは強く、居心地の悪い宮廷生活を送る羽目となります。
 加えて、コンギルの切れ長の目に魅了された王は、彼を寝室に呼ぶこととなり、元キーセンで王の側室のノクスの激しい嫉妬を買ってしまいます。コンギルと友情を超えた絆で結ばれているチャンセンも夜毎コンギルが召されてゆくことで深く苦しみます。
 そんな中、宮廷での宴会でチャンセンが王の母親が毒殺された経緯を暗示するような劇を披露したため、母の死の真相を知った王は狂ったように亡き父王の寵妃らを切りつけて。。
 身分は最下層でも、芸人としての人生に誇りと生きがいを見出していたチャンセンとコンギルが、王に気に入られて宮廷に入ったがために、貧しい旅芸人時代よりも更に過酷な運命をたどるはめになるのに、チャンセンの抜きん出た芸才と知能とセンスとで何とか切り抜けたり、不運を重ねても反骨の精神を失わない姿勢に圧倒されます。そして、何よりも胸を打たれたのが、ベテラン芸人チャンセンの若いコンギルへの深い愛情です。コンギルもその容姿ゆえに王の奥小姓にされる運命を受け入れながらも、チャンセンへの思慕は変わらず、お互いに命をかけて相手を守ろうとする姿が感動的で、その余韻が翌日まで胸に残る作品でした。
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by cheznono | 2006-12-27 23:16 | 映画

カンヌ行きバスの顛末

b0041912_23104385.jpg そろそろ年賀状の準備をと春以来全く触っていなかったPCに電源を入れたら、画面は真っ黒のまま、うんともすんとも言わないので青くなり、買った某量販店に持ち込みました。なんてたってそのPCは丸2年使用した後、起動がおかしくなったため、春先にハードディスクを取り替えてもらったばかりなんです。既に年末の今、修理した「ばかり」ではないだろうと量販店の担当者には変な顔をされたけど、春先に新品同様になって戻って来た(と信じていた)時から、起動させてみたのは数回だけ。渡仏前だったので、修理に出したPCを抱えて滞在に入るのは不安だったこともあって、泣く泣く新品を買って持って行き、以来ずっと新PCを使っていました。よって、夏にフランスから戻った後も修理済みのPCはお蔵入り状態だったのです。
 今週立ち上げてみたのはかれこれ8ヶ月ぶりだったとはいえ、全く起動しなくなっていたのでもうがっかり。今度こそ根本的に直してよね、という気持ちで量販店の修理カウンターに行ったら、隣にDVDプレイヤーを持ち込んだマダムが、「買って1年未満なのに全く映らなくなっちゃったのよ。この店で買った品物はなぜか全部すぐに壊れたわ。ドライヤーもスーツケースも、このプレイヤーも。」とこぼしていたので、思わず耳をそばだててしまいました。フランスでももちろん技術力のジャポンはお墨付き、私も自分の持っている電化製品を褒められると、「日本製だから(当然よ)。」なーんて、自分で作った製品でもないのに誇りがましく感じていたのに、安全神話と同様に今や日本のテクノロジーは欧州並みのもろさに後退しつつあるのでしょうか?
 さて、前回のつづきです。降りたいのにどうしようもできない私を乗せたカンヌ行きバスは、プロムナード・ザングレの先で渋滞に引っかかり、のろのろ運転になりました。それでもドライバーは意地の悪い表情のまま、下車できずに困っている私など存在しないかのように無視しています。こうなったら、相手が根負けするまで粘るしかないと運転席の真後ろに立つ私はまたもや「降ろしてください!降ろして、家に帰らせて。夜のこんな時間にニースから出るわけにはいかないんです。」とオウムのように同じことを繰り返しました。
 こんな時フランス人だったら、くるっと振り返って満席の乗客に向かい、「ちょっと皆さん、聞いて下さい!この運転手さんはこんな時間に私をバスから降ろさずにカンヌに向かおうとしているんです。私はニースに住んでいるのに。」と叫んで、援護射撃を求めるだろうに、いくらなんでもそんな勇気はないしなあ、と途方に暮れた頃、赤信号で停車したバスの乗車用ドアが突然開いて、ドライバーがぶすっと「降りたいんなら、今降りな。」ってつぶやくではありませんか。ヤッタ!うるさくなってついに根負けしたんだわ、と転げるようにバスを降りた私、目の前の高々と揺れる椰子の木と車の列を見て、いったいここはどの辺だろうときょろきょろしながら、やっとこさで路上に降りた安堵感にひたったのでした。
 カンヌ行きのバスはニース市内で乗客を降ろせない規則だなんて言いながら、こんな所で客をほおり出せるんなら、さっさと降ろしてくれれば良いのに。そうぶつぶつ考えながら、反対車線のバス停を見つけ、ニース行きのバスを待って今来た道を戻り、その後さらに終バスに乗り換えて、なんとか帰宅したのでした。規則を振りかざした割りに赤信号で中央分離帯に降ろすなんて、とんでもないって周りの友人も怒ってくれましたが、元はといえば、市内に帰宅するのになぜカンヌ行きなんかに乗ったの?という疑問がみんなの目に見て取れます。普段はカンヌやマントン行きのバスでもニース市内で乗り降りしている乗客がいるから、市内で下車しても問題ないと思っていた私、この辺の「規則」については本当にあの時のドライバーの主張が正しかったのか、未だに定かではありません。
 観光シーズンのコート・ダジュールで、知らないで間違える旅行客はたくさんいるに違いないのに、明らかに外国人とわかる人間に「規則」を振りかざしてバスを走らせ続けたドライバーには今でも腹が立ちますが、押し寄せるヴァカンス客を尻目に黙々と勤務しなくてはいけない彼らが、うんざりしている気持ちも何となく想像できるような気もします。観光収入があるからこそ潤っているとはいえ、リゾート客なんていい気な奴らだという地元民の思いが、意地悪に繋がるのでしょう。うっぷん晴らしに使われた私はいい迷惑ですが、苦い勉強にもなった体験でした。
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by cheznono | 2006-12-22 00:39 | 不思議の国フランス

魔のカンヌ行きバス

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 今年からニース‐カンヌ間がバスだとわずか1.30ユーロで行けるようになったので、5月の映画祭の後も、この安い路線バスに乗って何度かカンヌまで往復しました。路線バスは基本的に乗り降りする人がいればどのバス停にも停まるため、カンヌまでえらく時間がかかるのが難点ですが、海岸沿いのドライブは心地よいし、何しろ運賃が安いので背に腹は変えられないという感じでよく利用したものです。
 ある夕方、「イタリア式恋愛方法」という映画を観た後に友達と別れ、郊外まで帰ろうとした時、ギャラリーラファイエットの前のバス停に停まっていたカンヌ行きバスに飛び乗ったことがあります。ニースの市内バスに乗るべきだったのですが、滞在先に帰るにはどのバスに乗ってもどうせ途中で乗り換えなくてはいけないので、長距離バスでも別にかまわないやって思って何気に乗ってしまったんです。
 カンヌ行きバスはいつものようにバス停ごとに停まってはお客を乗せ、プロムナード・デザングレに出て地中海沿いを走りだしたので、そろそろ降りなくてはと降車用ボタンを押しました。ところが、バス停に停車したもののバスは、前方の乗車用ドアを開けてお客を乗せたとたんにまた発進してしまい、降車用のドアの前でさあ降りるぞと待っていた私はアレ!?っていう感じ。最後部のお客さんが降りそこなった私のために「運転手さん、ドア開けてあげて。」って叫んでくれましたが、ドライバーは、「だめだめ、ドアは開けられないよ。」と言って、海岸通りを突っ走っています。
 驚いた私はツツっと前の運転席まで行って、「すみませんが、その辺のバス停で降ろしてもらえますか?」と頼みました。ところが、ドライバーはブスっとした表情で、「あ、俺にはニース市内でお客を降ろす権利はないよ。」と冷たく言い放つではありませんか。「ええっ、じゃあどこでなら降ろしてもらえるんですか?」既に夜の8時だから今からカンヌに行ったら、もう今日中に帰って来れないじゃないと青くなった私を尻目に、バスはどんどん走り続けます。その時点でかなり頭に来てたけど、とにかくバスを降りたかった私は、「お願いです、うちに帰らなくちゃいけないので、降ろしてください。」と自分としては丁重に頼んでいるのに、ドライバーは無表情のまま、「まあ、隣町で降りるんだな。」と言うばかり。冗談じゃない、隣町と言ってもニース・コートダジュール空港のずっと先なので、夜の9時近くに着いたら、帰りのバスがあるとは思えない。タクシー代はいくらになるか計り知れないし、誰かに迎えに来てもらうのも申し訳ないし。ぐるぐるとイヤな想像が頭に浮び始めたので、もう恥も外聞もなく、ほぼ満員のバスの乗客が注目している中で、「お願い、とにかく降ろして!降ろして!降ろして!」とドライバーの肩越しで呪文のように唱え始めました。それでも彼は「これはカンヌのバスだから、ニースで客を降ろす権利はないの。俺が決めたルールじゃなくて、会社が決めた規則だから仕方ないね。」だって。何言ってるのよ。普段、規則なんて全然守らない民族の癖に、人が困っている時に限ってなんて意地悪なヤツ。もう怒り心頭に達していましたが、このままずっと空港の向こうまで乗り続けるわけにはいかないので、「降ろして下さい!」と言い続けました。つづく 
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by cheznono | 2006-12-16 01:41 | 不思議の国フランス

麦の穂をゆらす風

b0041912_0421476.jpg この5月にカンヌ映画祭に通った時、私たちが観る事ができたのは殆どが《ある視点》の部に選ばれた作品で、同時に隣の赤じゅうたんの会場で上映されている公式作品の方は終盤に1つ観れただけでした。なので、赤じゅうたん会場の作品の噂は、運良くフリーパスと招待状を持っている知り合いに聞いたり、メディアの報道を頼ったりしていました。
 その映画祭の最中、フランスのマスコミが予想していたパルムドールは、ペドロ・アルモドバル監督の「ヴォルヴァー」やソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」、そして「息子の部屋」でパルムドールを受賞したナニ・モレッティ監督の「カイマン」辺りで、ケン・ローチの「麦の穂をゆらす風」は一応候補に挙がっている程度の扱いでした。中でも、以前から人気のスペインのアルモドバル監督は今年のパルムドールの最有力候補。フランスの監督の作品がパッとしなかったせいか、メディアはしきりにアルモドバル監督がいかにパルムドール受賞に近いところにいるかを連日報道していたのです。
 で、ついに最終日、結果はウォン・カーウァイ審査委員長の元、満場一致でケン・ローチの「麦の穂をゆらす風」が選ばれたのに、フランスメディアの冷たかったこと。普段はとても温厚なイギリス人の友達が、「フランスのマスコミって本当に子供っぽい!」と怒り出すくらい、フランスではケン・ローチの受賞の報道を最低限に抑え、代わりに落選して傷心のアルモドバル監督を映しては、ペネローペ・クルースの監督を慰めるスピーチを繰り返し流したわけです。オリンピックの開催地もロンドンに取られたせいか往年のライバル・イギリスへの反発と、地続きのスペインへの親近感との差が露骨に出たという感じでした。 
 アルモドバル監督の「ヴォルヴァー」は、カンヌの後すぐに一般公開されたので、ニースで観ました。面白かったけど、これでもかのえぐいエピソードがてんこ盛りだったから、思わずテレビのソープオペラを連想したくらいです。そして既にカンヌから半年以上経った今、「麦の穂をゆらす風」を観て、これはまるで「ヴォルヴァー」や「マリー・アントワネット」が太刀打ちできる作品ではない、カンヌで満場一致だったのは当然の結果だった、ということがわかりました。確か数年前に「スウィート・シックスティーン」が公開された時は、フランスでも高く評価していたのに、なぜ今回はケン・ローチにこんなに冷ややかな態度を取ったのでしょう?アイルランド問題で加害者側であるイギリス出身の監督が、史実を冷静に見つめた画期的な作品であるこの映画を、どうしてフランスが素直に評価できなかったのか不思議ですが、自国がアルジェリアなどで行って来た非人間的な行為を思い出させられて、直視できなかったのかも知れません。。イギリス国内ではかなり物議をかもしたという内容ですが、日本も過去の事実を修正することを試みる前に史実を冷静に振り返るべきで、それこそが先進国の責任ではないかと確信させられるようなこの映画、ケン・ローチの「もし、われわれが過去についての事実を語らなければ、将来についても事実を語れなくなるじゃないか」という言葉が胸に沁みる作品でした。
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by cheznono | 2006-12-09 01:54 | 映画

ニースの中のロシア

b0041912_105616.jpg 「上海の伯爵夫人」のヒロイン・ソフィアは、1917年のロシア革命後のソビエト体制から逃れて上海に亡命して来た貴族でした。上海の貧困地区に住み、ホステスとして明け方まで働く店で、今は雑役夫として中国人にあごで使われている同胞を見かけ、かつて一緒にテニスを楽しんだ青年貴族との思いがけない再会に目頭を熱くするシーンが印象に残っています。ロシア革命後はフランスにもたくさんロシアの貴族が逃れたので、パリでは亡命貴族のタクシードライバーが増えたとか。亡命で命が助かったとはいえ、特権階級として贅沢な生活を送って来た人たちが、時代の変化、生活の激変という現実を受け止めるのはかなり辛いものがあったに違いないでしょう。もっとも彼らはロシア宮廷で仏語を話していたから、少なくともフランスに逃れた人たちには言葉の障害がなかったのが不幸中の幸いかも知れませんが。
 19世紀からロシア貴族の避寒地として人気だったニースにも、多くのロシア人が亡命したようです。ロシア正教会の信者である彼らが心の支えにしたのが、サン・ニコラ大聖堂でした。国鉄のニース駅から徒歩10分くらいのところにあるこのロシア正教の聖堂、入り口の庭に一歩入るとちょっと別世界が広がる感じです。何といっても丸天井付きの5つの塔がまさにロシアのイメージで、自分がコートダジュールにいることを忘れてしまいそうな程、エキゾチックな雰囲気をかもし出しています。丸天井の屋根のうろこや丹念にほどこされたモザイクの装飾が、普段カトリックを初めとするキリスト教会を見慣れた目にはとても新鮮に映りました。
 ニースのロシア聖堂は、最後の皇帝ニコライ2世の命によって建てられ、聖堂の管理を任されたのは皇妃のアレクサンドラでした。大聖堂の近くの線路際には皇妃が滞在したアパルトマンが今も残り、一般の人の住宅として使われています。皇妃アレクサンドラは英国のヴィクトリア女王の孫に当たる美しい人でしたが、4人のプリンセスを設けた後にやっと生まれた皇太子アレクセイが血友病に冒されていたため、家臣に評判の悪かった怪僧ラスプーチンを病気の息子の祈祷のため重用し、内政を混乱させる原因を作った女性です。ロシア革命のためニコライ2世が退位したのは、この大聖堂が完成してからわずか5年後のこと。その翌年、皇帝一家は革命軍によってシベリアで処刑されてしまいます。
 庭も内部も見ごたえがあるのに観光客にはあまり知られていないこのロシア聖堂、今でもニース在住のロシア人には大切な憩いの場になっているようです。
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by cheznono | 2006-12-04 01:43 | コート・ダジュール散歩