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ブーリン家の姉妹

b0041912_053513.jpg 「ずさんな脚本の大味なメロドラマ」と、朝日新聞では酷評されていましたが、フランスでもヒットしたこの作品、西洋時代劇好きな私にはすごく面白かったです。
 生涯に6人の王妃と結婚したヘンリー8世をめぐる美しい姉妹の、これは単なる嫉妬や略奪愛のメロドラマではなく、男達の権力欲に女性がコマのように利用されるのが当たり前だった時代に、対照的な性格ながら二人がそれぞれの方法で必死に王侯貴族社会を生き抜こうとした記録として、見応え充分な歴史劇ではないでしょうか?ただし、史実とはかなり異なる面があるのも否めません。
 16世紀前半、ブーリン卿と野心家の義兄ノーフォーク公は、狩りに立ち寄ったヘンリー8世をもてなすため、才気煥発な長女アンに王の気を引くよう言い含めます。娘が王の側室となって、待望の世継ぎである王子をもうければ、一族の繁栄は確実です。
 でも、ヘンリーが気に入ったのは新婚の妹メアリーの方でした。美しく気だての優しいメアリーと気の強いアンは、王妃キャサリンの侍女として宮廷に上がり、メアリーは王の子供を宿します。一族は要職をあてがわれ、姉妹の父親と叔父はにんまりでしたが、アンが婚約者のいる青年貴族と不祥事を起こしたため、一家は慌ててアンをフランスに送り出したのでした。
 さて、ヘンリー8世が流産を避けるため安静を強いられているメアリーに飽きて来た頃、フランスからアンが帰国。フランス宮廷仕込みのファッションセンスとエスプリの聞いた会話が新鮮で、アンに魅了された王は熱心に口説きますが、アンは王をじらしにじらします。男子を設けたにもかかわらず冷遇されている妹を見て、ちゃんと王妃にしてくれなければイヤだと拒否するアン。しかし、ヘンリーはローマ法王やスペインを敵に回して、無理やり正妻キャサリン・オブ・アラゴンを離婚するわけには行きません。
 困惑する王の耳元でアンは、ローマ・カトリックを捨てて、ヘンリー独自の国教会を作るべきだとそそのかします。スペイン出身の王妃キャサリンは、その昔、夭逝したヘンリーの兄の妻であったことを口実に、20年にも及ぶ結婚自体を無効とすることで、ヘンリーはキャサリンを離縁、ついにアンと密かに再婚します。
 しかし、念願の王妃の座を手に入れたものの、なかなか王子を出産することができないアンは、焦った挙げ句に足をすくわれ、思いもかけない悲劇へと向かって行くのでした。
 勝ち気で自立心の強いアン(ナタリー・ポートマン)と金髪の美人で穏和な妹メアリー(スカーレット・ヨハンセン)という対照的ながら仲の良い姉妹が、父親と叔父の思惑にのせられて、二人とも一人の王の寵愛を受けたことで運命を翻弄されるいきさつに重点を置くあまり、当代きっての教養人で、絶対王政の基礎を築き、ローマ法王に破門され、イギリス国教会を樹立したヘンリー8世にはエリック・バナを起用しながら、とても影の薄い王様にしてしまっている点は、とても残念です。
 しかし、二人の姉妹はそれぞれが魅力的に描かれていて、特に周囲の決めたことを全て受け入れ、愛するヘンリーが姉に心変わりした辛さや悲しみ、悔しさを一人で乗り越えて、家庭的な幸せをつかみ、かつ意外な行動力と意思の強さも見せるメアリーが素敵でした。
 昔、ケント州にあるブーリン家ゆかりのヒーバー城を訪ねた時、ロンドン塔に幽閉されたアン・ブーリンが、夫ヘンリーに無実を訴える悲痛な手紙を見てショックを受けたことが、今も強く記憶にありますが、アン・ブーリンはヘンリー8世に初めて口答えした女性と言われていて、実際かなり気性が激しく、自立心の強い女性だったようです。
 筆無精で知られるヘンリー8世ですが、アンには17通ものラブレターを出した程夢中だったのに、結婚後はアンの気性ときつい物言いに嫌気がさして、気立ての良いジェーン・シーモアに心を移したとか。獄中のアンからの命乞いの手紙をどのような気持ちで読んだのでしょう?
 ヘンリーがジェーン・シーモアと再婚したのは、アンの処刑からわずか10日後。ヘンリーとアンの一人娘エリザベスが女王となるのは、それから25年後のことです。
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by cheznono | 2008-10-27 00:33 | 映画

南仏のゴヤ美術館

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 フランシスコ・デ・ゴヤは、スペイン王室の宮廷画家でありながら、フランス革命がもたらした自由主義的な思想に賛同していました。ナポレオンによって即位した新国王(ナポレオンの兄)は、まず異端審問を廃止し、スペインの近代化改革に意欲的でしたが、教会の反発を招き、やがてフランス軍の占領に対する国民の不満も噴出したため、スペイン独立戦争へと発展。
 動乱の末、ナポレオンによって追放されていたカルロス王一家がスペインに帰還して、自由主義者迫害が始まりました。
 大病の後遺症で聴力を失っていたゴヤは、療養を口実に78歳にしてフランスに亡命し、4年後、ボルドーで亡くなっています。

 ローマ時代からの古い歴史を誇り、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道筋として発展した町、カストル。アルビとカルカッソンヌの中間に位置し、運河沿いの古い家並みがきれいなこじんまりとした町は、ヴェニスのように運河に浮かぶ船から直接家に入れるように、運河沿いの家の基礎に入り口が作られている設計が目を引きます。
 ベネディクト派の大聖堂を初め、見所が点在するカストルの町により魅力を添えているのが、古い司教館を利用したゴヤ美術館と言えるでしょう。ヴェルサイユ宮殿の建築家による建物の中は、ルーブル美術館に次ぐ、スペイン系の画家のコレクションを誇っています。所有しているゴヤの絵は3枚で、他に挿絵に使ったと思われるゴヤの版画シリーズも楽しめます。
 結構見所があるにも関わらず、あまりガイドブックには載っていないカストルですが、この夏、フランス中がこの町に注目する事件が起こりました。サルコジ大統領が夫人のカーラ・ブルー二と南仏でヴァカンスを楽しんでいた8月、平和維持軍としてアフガニスタンに駐留中の仏軍が待ち伏せ攻撃に合い、兵士10人が亡くなって、数十人が負傷したのです。
 犠牲になった兵士の大半が、カストルの海軍基地出身者だったため、パリでの国葬の後、カストルでも告別式を行って、町は悲しみに沈みました。小さい町だから、兵士達と顔見知りの住民も多かったようです。
 この事件はフランス中に衝撃を与え、仏軍をアフガニスタンに駐留させておくことへの反対意見が多く見られましたが、サルコジ大統領は迷わず駐屯の続行を決定、今もその是非が問われています。
 写真は、ルイ14世の庭師だったル・ノートルの設計によるゴヤ美術館の庭。ヴェルサイユ宮殿の庭と共通するスタイルで、南仏でこういう幾何学的に作り込んだ庭に出会うと、ものすごく新鮮に感じられます。
*ゴヤ美術館
Hôtel de Ville – B.P. 406 – F- 81108 Castres
+33 (0)5 63 71 59 30
goya@ville-castres.fr
月曜休館
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by cheznono | 2008-10-20 17:00 | 不思議の国フランス

宮廷画家ゴヤは見た

b0041912_1232691.jpg「ゴヤは見た」という邦題の通り、時代の大きなうねりに揺れるスペインを背景に、薄幸の美少女イネスと野心家の神父ロレンソの数奇な運命を、カルロス4世のお抱え画家に上りつめたフランシスコ・デ・ゴヤの目を通して描いた歴史ドラマ。
 宗教や時代の流れに翻弄された女性と、その両方をうまく利用した神父の姿に、見終わった後は暗く重い空気に包まれましたが、当時を忠実に再現した映像は美しく、見応えのある時代劇に仕上がっています。

  18世紀末、フランス革命の時代のマドリードで、ゴヤ(ステラン・スカルスガルド)が親しくしている豪商の令嬢イネスは恵まれた家庭で幸せいっぱいの娘盛りを迎えていました。ところが突然、異端審問所から呼び出しを受け、ユダヤ教徒ではないかと疑われて、拷問にかけられてしまいます。
 娘の身を案じた豪商は、ゴヤを通じてロレンソ神父(ハビエル・バルデム)の力でイネスを釈放するように頼みますが、奇しくもカトリック教会の威信回復のために異端審問を厳しくするよう提案したのはロレンソでした。
 ゴヤの頼みで、イネスを慰めるべく異端審問所の牢獄を訪ねるロレンソ神父ですが、拷問のため全裸で震えるイネスを見て、思わず抱き寄せてしまいます。
 娘を何とか釈放させたい豪商は、ロレンソ神父を自宅に招待、その席で神父にある罠を仕掛けます。それでも、娘の解放はかなわず、切羽詰まったロレンソは、スペインから亡命し、行方知らずに。
 そして15年が過ぎ、ナポレオン軍がスペインに侵攻。既に聴力を失ったゴヤは、今やナポレオンの側近となったロレンソの変身ぶりに驚きますが、さらに意外な真実が明らかになって。。。

 「ブーリン家の姉妹」でも悲劇の王妃アン・ブリーンを熱演しているナタリー・ポートマン。この作品でもゴヤのミューズとも言えるイネスとその娘を見事に演じ分けています。「ノーカントリー」で不気味な殺し屋を演じたハビエル・バルデムは、今回も癖のある役柄を完全に自分の物にしているし、ゴヤのステラン・スカルスガルドもぴったりはまり役。 

 悪名高いカトリックの異端審問裁判ですが、特にスペインの異端審問は密告やでっち上げも多かったようですね。この映画でも若く美しいイネスが、ほんの誤解から過酷な運命に陥ってしまう展開に、ものすごく暗い気持ちになりました。
 もう10年近く前にトレドの旧市街を歩いた時、中世からイスラム教徒らと共生していたユダヤ人が、やがて迫害によって町を追われた歴史を知りましたが、ゴヤはそうした時代の暗い部分を絵ににじませることで、静かに体制を告発していたのでしょう。トレドでは、ゴヤの絵の暗さに気が滅入ったものですが、晩年のゴヤが描いた作品の陰鬱さは、こうした時代から生まれたのかと、この作品で納得できた気がします。
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by cheznono | 2008-10-12 01:28 | 映画

日仏交流の憂鬱

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 嬉しいことにフランスでも何かと評判の良い日本人なのですが、たまに耳を疑うような話を聞くこともあります。先日「これからは日本人を泊めるのも少し考えなくちゃ」とアビニョンの日本びいきの友達が、珍しくぼやいていました。
 日本も日本人も大好きな彼女は、《プロヴァンスの家庭で体験ホームステイ》という企画に協力していて、日仏交流の一環でプロヴァンスを訪れる日本人を年に一度、ボランティアで数日間自宅に迎えています。
 去年日本からやって来たのは、お母さんと子供二人の親子組でした。彼らがアビニョンに到着した日は全員夜遅く寝て、翌朝6時。いきなり彼女達夫婦の寝室のドアが開いて、二人の子供が飛び込んで来たのです。就寝中だった友人夫婦が何事かと慌てるのも意に介さず、子供二人は夫婦のベッドに飛び乗って、トランプリンのようにジャンプし始めました。
 ちなみに日本人親子の寝ていた客間は1階、夫婦の寝室は2階です。子供達は早朝に初めてのお宅の2階に上って、夫婦の寝込みを襲ったわけで、友人夫妻はボー然とはしゃぐ子供達を見つめていたそうです。
 思いがけず早起きを強いられた友人でしたが、初めてのプロヴァンス地方訪問である親子のために車であちこち案内し、その日も就寝したのは深夜でした。 
 そして、翌朝。「なんとまた6時に私たちの寝室のドアが開いて、子供二人がなだれ込んできたのよ。で、また私たちの寝ているベッドに上ろうとしたから、頭に来て『ダメ!』って怒鳴ってしまったわ」と言う友人。
 自身も4人の子供を育て上げた彼女は、本来大の子供好き。日本人に限らず、これまでも子供連れの友人知人を泊めたことは何度もあるのですが、さすがに「こんな経験は初めて」だそうで、どうも日本人のお母さんは「しつけを全くしてない様子」だったとか。
 親子組はその後、同じツアーの日本人と共に別の街へ移動しましたが、そこのホームステイ先でもトラブルを起こして、ホストファミリーから苦情が出たようなので、日仏交流ツアー担当の方は、きっと肩身が狭かったことでしょう。
 ボランティアだから、もちろん無料で日本人を受け入れて来た友人は「残念だけど、これからは子供連れはお断り」と、ため息をついていました。
 しかし、初めてのフランス旅行で、初対面のフランス人家庭に滞在した翌朝6時に、二日も続けてホスト夫婦の寝室になだれ込んだ日本人の子供たち、これだけの度胸があれば、もしかして、将来は案外大物になるかも??
 写真はアビニョンから40キロ、プロヴァンスでもことに人気の鷲ノ巣村ゴルド。ここも「フランス一美しい村」の一つに選ばれています。
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by cheznono | 2008-10-04 00:06 | いつもの暮らし