<   2009年 05月 ( 3 )   > この月の画像一覧

b0041912_23461057.jpg
   「ベルサイユの子」が公開された時、「あの華麗なるベルサイユにもホームレスが住んでいることを知っていましたか?」がキャッチフレーズのように使われていましたが、フランス国内のホームレス人口は10万人弱、その1割近くがパリにいると言われています。パリ市民のスポーツやピクニックの場として人気の高いブローニュの森やヴァンセンヌの森にもたくさんのホームレスが住んでいるそうです。
 この10万近いホームレスの20%近くは未成年だし、「ベルサイユの子」のニーナのようにシングルマザーや別離の末に路上生活者となる若い女性も少なくありません。しかも、この春フランスの失業者は220万人を超えたため、家を追われる人の更なる増加が予想されますが、昨秋の金融危機後のアンケートで、フランス人の半数が「将来、自分もホームレスになる可能性が否めない」と答えたのにはさすがに驚きました。フランス人の二人に一人が、ホームレス問題は人ごとではないと意識しているわけですね。
 ただ、ホームレス=路上生活者というわけではなく、住宅補助を受けて安ホテルに長期滞在している人や簡易施設滞在者も含まれるので、実際に路上で生活する人は全体の1割程度にとどまります。
 その背景には、失業に加えて、パリ周辺や人気都市の慢性的な住宅不足と賃貸契約の条件の厳しさがあります。政府は断続的に低家賃住宅の建設に着手していますが、それでも全然足りなくて、住宅難は改善の兆しが見えません。
 何せ定収入があってもアパルトマンを見つけるのに何ヶ月もかかる人が多い程、住宅不足が深刻なパリで、いったん路上に出ることを余儀なくされた人たちが、新たにアパルトマンを借りるのは至難の業。パリを初め大都市にテントを設置して路上生活体験運動を展開した市民団体《ドンキホーテの子供たち》や空き家になっているアパルトマンの部屋などを占拠して住居のない人々を住まわせるという援助団体が、政府や市民にホームレス問題の深刻さを訴えていますが、経済危機が追い打ちをかけていることもあって、本格的に改善する日はまだ遠そうです。
 因みにニースのホームレス人口は約600人。パリやリヨンのホームレスは、一匹狼的に単独行動する人が殆どだそうですが、南仏はシェパードのような大きな犬を連れた人やグループで行動する人たちが目立ちます。
 欧州内からはもちろんのこと、アフリカやアジアなどから仕事を求めてフランスに渡る人が多い結果、路上生活者の約10%は外国人。ある時、日系の新聞に載った尋ね人広告に目が止まったことがあります。若い時に渡仏したまま、音信不通になってしまった中年の日本人男性を探す日本の家族が出した広告には、「最後の足取りは2年前で、リヨンのホームレスシェルターにしばらく滞在、その後、不明」とあって、とても切なくなったものでした。未だボヘミアンへの憧れが消えない私には身につまされた3行広告。この男性が今は無事に帰国して、ご家族と再会していることを祈るばかりです。
[PR]
by cheznono | 2009-05-29 23:47 | 不思議の国フランス

ベルサイユの子

b0041912_0121328.jpg   今回の帰国後、初めて劇場で観たフランス映画は、もう思いっきり現実をつきつけた作品「ベルサイユの子」。去年のカンヌ映画祭《ある視点》で話題になった社会派映画は、昨秋急逝してしまったギョーム・ドパルデューが、社会に適応できない青年になりきっていて、まさにはまり役です。「ランジェ公爵夫人」の恋の駆け引きに振り回されるモンリヴォー将軍よりも板について見えるのは、ギョーム自身の生き様が透けるからでしょうか?
 23歳無職のニーナと5歳の息子エンゾは、毎晩寝る場所を求めてパリをうろつくホームレス。一夜の宿を提供するシェルターも、パリだとすぐに埋まってしまうため、母子は路上で寝ることもしばしばです。見かねた救急隊に拾われ、ベルサイユなら施設に空きがあるからと、二人は土地勘のないベルサイユに送られます。
 無料新聞の記事に偶然目をとめたニーナは、そこに載っている介護の仕事に関心を持ったため、パリに戻ろうとベルサイユ宮殿を抜ける途中、広大な敷地の脇の森で暮らす青年ダミアンと出会います。
 一夜を過ごした二人ですが、翌朝ダミアンが目覚めると、エンゾを頼むという置き手紙を残してニーナは消えていました。突然、大きなお荷物を残されたダミアンは怒りをあらわにしますが、自分を頼るしかない幼子と森の中での共同生活を始めます。
 父を知らないエンゾにはダミアンとのサバイバル生活が新鮮で、すぐに順応、ダミアンも次第にエンゾに父性愛を抱いて、彼を守ろうとします。同じくベルサイユの森に住んでいるホームレス仲間達との交流や連帯感も二人の野生生活に暖かみをもたらしますが、ある日、ダミアンの掘建て小屋が火事になり、その心労からダミアンが高熱を出したことで、二人の森暮らしは終わりを告げるのでした。

 ニーナもダミアンも、もう長い間肉親とは絶縁状態で、職もなく、社会に溶け込めない存在です。しかしニーナは、「失業は宿命にあらず」という新聞記事に触発されて、子供のためにと介護士を目指すし、麻薬と刑務所を経験した後、社会と断絶して森に暮らすダミアンも、エンゾのために森から出て社会生活を営む決心をします。
 子供を軸に変わろうとする二人を後押しするのは、フランスの福祉システムや就労支援プロジェクトのスタッフ達。フランス屈指の高級住宅街ベルサイユにもホームレスが結構いるという現実を前に、彼らが社会復帰をするのなら、できる支援はしようという社会保障先進国としての意識の高さが伺われ、金融危機以来浮き彫りとなった日本の福祉の脆弱さとは対照的に映ります。
 それに、何より5歳のエンゾが素晴らしい。母親に置き去りにされても泣きわめくこともなく、赤の他人と森暮らしを始めてもすぐに適応して、母を探し求めたりせず、素直に大人の意向に従って、おとなしくその後の環境の変化にも同化して行く様子が、何ともけなげで、逞しくさえあります。
 ダミアンの父親の家での新生活で、「小屋に戻ろうよ」とダミアンに囁いたのは、エンゾの精一杯の自己主張。身の回りで起こることをおとなしく受け入れる姿勢は、まだ幼くてよくわかっていないというより、小さい時から母親とその日暮らしを強いられて来たエンゾが身につけた子供なりの処世術のようで、胸を打たれます。
 大人の都合に振り回され、同年代の子供達とは比べものにならないほど厳しい幼児体験を重ねて行くエンゾが、将来どういう大人に成長するか興味津々ですが、器の大きな青年となって、幸せをつかんでほしいですね。
 フランスでは「(ホームレスの生活の)覗き見趣味だ」という辛口批評も出たけれど、華やかな観光大国の負の現実を知るには、欠かせない一作ではないでしょうか?
[PR]
by cheznono | 2009-05-17 00:33 | 映画

グラン・トリノ

b0041912_265439.jpg 見終わった後、静かな感動がじわじわと湧いて来た「グラン・トリノ」、面白さでは「チェンジリング」の方が勝っているように感じましたが、完成度が高いとはこういう作品のことを指すようですね。日本でもフランスでもこれだけ評価の高い映画は滅多にないでしょう。
 妻を亡くしたばかりのウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は、頑固で気難しい典型的な偏屈老人。息子夫婦の心配をものともせず、牧師の助言にも耳をかさず、愛犬と独居を続けています。隣に住むアジア系移民の家族の存在も、人種差別主義者のウォルトには目障りなだけ。かつてフォードの城下町として栄えた一帯も今はすたれてしまい、アジア系の移民が増えているのが気に入りません。
 若い時、朝鮮戦争に出征し、復員後はフォードの工員として勤め上げたウォルトが何より大事にしているヴィンテージカー、グラン・トリノがある夜、隣のアジア系の少年タオに盗まれそうになり、それがきっかけで不本意ながら隣の一家との奇妙な交流が始まります。
 タオの一家は少数民族モン族の出身で、ベトナム戦争のおりに迫害を逃れてアメリカに亡命して来た後、タオと姉のスーが生まれたのですが、今は英語の話せない母と祖母との4人暮らしです。
 アメリカ的物質主義に染まっている自分の息子や孫に対して、家族の絆が濃厚で、気立てが優しく、異国においても伝統を守り続けるモン族の一家とかかわることで、ウォルトの差別的な気持ちが消え、真面目でシャイなタオと利発なスーの姉弟と親しくなって行きます。
 それまでの偏屈な態度が嘘のように、タオとスーの父親代わりのような気遣いを見せるウォルト。彼のお陰で仕事を覚えたタオは生き生きとして来たし、気が強く物怖じしない姉のスーもウォルトに信頼を寄せています。しかし、姉弟の従兄はアジア移民たちの不良グループの一員で、タオを自分たちのグループに巻き込むべく、あれこれ嫌がらせをしかけてくるのでした。

 他人はもちろん、息子一家とも壁を作っていたウォルトが、見下していた移民であるモン族の一家の人柄にほだされて心を許し、若い姉弟を見守る父性愛のような感情を示し始める辺りが丁寧に描かれています。アジア移民によるウォルトの劇的な変化は、同じアジア人としてとても微笑ましく見ました。
 けれど、ここでも移民系の女の子は向上心を持って大学に進み、男子は不良になりがちというフランスの移民社会と似たような現象が語られます。しかも、不良グループがなぜか同じ移民仲間に対して悪さを働くという図式まで似ているところがやるせないです。
 戦争体験を引きずるウォルトの心境や一人で果敢に周囲の女性蔑視的の男性陣とやり合うスーの向こう気の強さ、ウォルトと出会ったことで成長して行くニートのタオの姿など、さりげない毎日の暮らしの中で、それぞれの個性を際立たせた描き方はさすがの手腕。
 イーストウッドの作品はいつもアメリカ社会の抱える問題や矛盾を冷徹に見つめている点に関心させられますが、米国を代表する産業だった自動車会社が危急存亡の今、フォードの自動車工だった主人公の老後は、アメリカの自動車産業に従事して来た人々にとって、特に感慨深いものがあるかも知れません。
  多民族との共存が進む世界で、その長所と奥深い問題とを同時に考えさせられる一作でもありました。
[PR]
by cheznono | 2009-05-07 02:07 | 映画