死刑執行人サンソン
2009年 01月 28日浪費家の華やかな王妃マリー・アントワネットの陰で、あまり風采のあがらないお人好しの君主というイメージが強かったルイ16世ですが、近年、そのパーソナリティが見直され、この本でもフランス革命までは国民に絶大な人気を誇ったなかなかの名君だったという史実が浮き彫りにされています。
一方、人から忌み嫌われる死刑執行人の家に生まれた4代目のシャルル-アンリは、世襲制のこの仕事を父親から引き継ぎ、裁判所の下した判決に基づいて、自分の意に反した拷問や処刑を行う傍ら、医者としても活躍します。代々、人の遺体を扱う仕事をして来た死刑執行人の一家は、かなりの水準の医学を身につけていて、貴族から平民まで多くの患者を看たようです。道で会っても顔を背けられるようなおぞましい職業とされた死刑執行人ですが、その反面、独自の診療法で病人から頼りにされ、医者として結構な収入を得ていたというのはとても興味深い事実だと思いました。
太陽王ルイ14世やルイ15世が贅を尽くした生活の中、しこたまお金を使った後で、思慮深く善政を行ったと言えるルイ16世をとても尊敬していたシャルル-アンリ・サンソンは、フランス革命を機会にこれまでの絶対王政から立憲君主制を国王と共に目指すことを強く望みますが、幽閉されたルイ16世は、処刑の有無を問う国民議会に置いて、わずか1票差で死刑判決が確定してしまいます。
何度か言葉を交わし、その人となりを心から尊敬していたルイ16世を自らの手で処刑しなければいけなくなったサンソンの苦悩は、想像を超えるものだったようです。
若き日には伊達男だったというサンソンが、まだ貧しいお針子だった頃のデュ-バリー伯爵夫人(ルイ15世の公式寵妃)と火遊びをした過去があるにもかかわらず、その30年後、泣き叫んで取り乱す彼女を群衆の前で処刑しなければいけなくなったというから、運命とは皮肉なもの。時にデュ-バリー夫人50歳。
ルイ16世の処刑後、いっきに恐怖政治へと突入する行き過ぎた革命のお陰で、ベテランのシャルル-アンリでも頭がおかしくなりそうなほど次から次に人々の首を刎ねなければいけなくなる顛末が淡々と綴られ、たまたま時代のドラスティックな変革期に居合わせた人たちの悲劇に身震いしてしまいます。そのサンソンの生涯をかけた願いが死刑反対で、死刑は廃止すべきというものでした。
昨秋、同じ著者による「物語フランス革命」も出版されています。