千年の祈り
2009年 11月 13日米国の小さな町で一人暮らしをしている娘イーラン(フェイ・ユー)のアパルトマンを中国から父親(ヘンリー・オー)が訪ねて来ます。既に引退し、妻とも死別した父親は、離婚したイーランが心配で北京から一人で会いに来たのに、久しぶりの対面にも娘はクール。会話もぎこちなく、イーランはいつも通り毎日職場に出勤して行きます。
父親は殺風景な娘のアパルトマンに故国を偲ばせる中国的なものが何もないのを淋しく感じ、朝出勤して夜寝に帰るだけの娘のライフスタイルにもショックを受けます。娘を元気づけようと、腕をふるって中華料理を用意しては、イーランの帰りを待つ父親。しかし、親子水入らずの夕食も娘は口数少なく、父親は気をもむばかりです。
短い結婚生活の後に中国人の夫と別れた娘のどこか憂いのある孤独な様子を、ただ黙ってみていることしかできない父は、しかし娘の鬱屈の原因が離婚ではなく、妻子あるロシア人男性との関係にあるということがわかってしまい、更に胸を痛めます。そんな父親にイーランは、長い間わだかまりとなっていた遠い過去の疑念をぶつけるのでした。
遠い異国で働く一人娘の離婚を気に病んだ父親が、渡米して見た娘の生活はすっかりアメリカナイズされているばかりか、自分の過去も中国文化も父との交流すらも拒否しているかの様子に、内心おろおろする父親役をヘンリー・オーが自然体で好演していて、素晴らしいです。アジア的な老親の悲哀と同時にユーモラスな面もみせるし、全身から人間味がにじみ出ている俳優さんですね。
ロケット工学者だったという父親は、娘の拒否的な態度にはお手上げ状態でも、公園ではイラン人マダムと親しくなって心を交わしたりと,彼なりに米国滞在を楽しんでいるのが微笑ましいですが、自分の娘とは通わない心が、言葉の通じないイラン人マダムとはなぜか互いにわかり合えるというエピソードが、親子の心の見えない隔たりを強調していて、せつない作品でした。特に、故国に親を残して異国に滞在している時にこういう映画を観ると、それは身につまされます。
トウールーズから商用で昨日まで来日していた友達が「日本の不況の深刻さはすごい」と何度も繰り返すので、どこでそれを強く感じたのか聞いてみると「東京に来る前に上海に寄って来たのがいけなかった気がする」、なぜなら「上海のパワーはすごかった。街は活気に満ちて、人々はアリのように動き回り、より良き将来への期待に目を輝かして働いていた」と強い印象を受けたのに、日本はとても静かで元気がなくて、とても対照的に見えるとのこと。
上海の中国人の友達からは「拝金主義が行き過ぎているようでうんざりしている、確かに何かを始めるには良い街だけど、一区切り着いたら早く上海を離れたい」というメールが来たばかりなのですが。くだんのフランス人には「日本はこれまでアメリカの方ばかりを見て来たのがいけないんだよ。今度の首相が言う通り、アジアを重視しなくちゃ」と強調されました。それはよく言われていることだけど、改めて外から指摘されると考えさせられますね。