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 水銀による毒説死がささやかれるアニエス・ソレルの突然死の後、わずか3ヶ月後にシャルル7世はその従姉妹アントワネット・ド・メーニュレを愛人に迎えます。当代きっての美女アニエスに少し面影の似たやはりかなりの美人だったアントワネットは、王の寵愛を受けたくて共に育った従姉妹アニエスの毒殺を画策したのでは?とまで疑われている人物ですが、アニエスほど知的な女性ではなかったとか。とはいえ、シャルル7世一筋で薄命だったアニエスと比べると波乱万丈の人生です。
 シャルル7世が他界すると、その息子ルイ11世から宮廷を追われたアントワネットはアンヌ・ド・ブルターニュの父であるブルターニュ大公フランソワ2世の寵姫に。ブルターニュ公を見張るスパイとして、ルイ11世が送り込んだという説が有力ですが、フランソワ2世は彼女に夢中になります。
 ちなみに、シャルル7世はアントワネットを寵愛しながらも忠臣と結婚させていて、彼女はシャルル7世とも夫とも子供を設けています。
 アントワネットとフランソワ2世との間に生まれた長男(アンヌ・ド・ブルターニュの腹違いの弟)に与えられたのが、この クリソン城。
 この城は、当時ブルターニュ大公の城を守るべく要塞の役目を果たしていたため難攻不落に設計され、その甲斐あって、誰からも攻撃されなかったのに、廃墟となってしまったのは、フランス革命の後、共和国軍に火を放たれたから。
 お城は痛々しい姿となってしまいましたが、人口7000人のこの村に毎年5万人の観光客が訪れるというからたいしたものです。
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アントワネット・ド・メーニュレの肖像
# by cheznono | 2016-05-31 07:46 | フランスの城と歴史

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Château des Ducs de Bretagne
 15世紀にアンヌ・ド・ブルターニュの父親であるブルターニュ大公フランソワ2世によって建てられた城で、フランス軍の攻撃から守るため、外側は質実剛健な要塞の姿をしています。城の中庭側は画像のようにルネッサンス様式とゴシックが融合していて、白い壁がまぶしいくらい。
 城の見学時間外でも中庭や城壁は市民に解放されているこのお城は、ナントの人の憩いの場のようです。
アンヌ・ド・ブルターニュは、ブルターニュ公国とフランスとの平和を身を呈して模索した善き公女、(ブルターニュ式の素朴な)木靴の王妃として慕われ、今でも人気があります。
 1532年にブルターニュがフランスに併合されると、この城はフランス王がブルターニュ地方に滞在する際の宿泊先として利用されました。
 カトリック教徒と新教徒ユグノーとの間で泥沼化した宗教戦争に幕を引くため、アンリ4世がナントの勅令を発布したのもこのお城です。アンリ4世がアンジェで準備した勅令の発布にナントを選んだのは、とてもカトリック色の濃厚な町だったからと考えられるとか。
 城は17世紀に火事に見舞われ、19世紀初めには武器用弾薬が大爆発して大きく破壊されるという憂き目に合いながら、今はナントの辿って来た辛苦と繁栄の歴史を解説する博物館に。中世のアンヌの時代よりも、奴隷貿易で栄えた18世紀以降の歴史が充実しています。
http://www.chateaunantes.fr/
# by cheznono | 2016-05-24 07:49 | フランスの城と歴史

クロ・リュセ城

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 去年はアンボワーズ城を再訪したものの、雨で寒かったため、クロ・リュセには寄らずにトウールに戻ってしまいました。でも、パリの友達にクロ・リュセにも行かなきゃダメよと言われたので、今年はクロ・リュセへ。噂の通り、ルネッサンスきっての発明家ダ・ヴィンチのデザインした家具や発明した機械がたくさん展示されていました。
 今年はレオナルド・ダ・ヴィンチがフランソワ1世に招かれて、クロ・リュセ城に居を構えてからちょうど500年を記念して、特別展も開催中。ダ・ヴィンチがクロ・リュセに住んだのは晩年の3年間ですが、10年にわたって3人のフランス王(シャルル8世、ルイ12世、フランソワ1世)との交流が伺え、とりわけ、フランソワ1世との絆の強さが伝わって来る展示となっています。ダ・ヴィンチもフランソワ1世も身長190cm以上の大男だったのですね。
 晩年のダ・ヴィンチは当時としては稀なベジタリアンで、男子の平均年齢が30代半ばだった時代に67歳の長寿をまっとうしたのは、食生活に気をつけていたからかも知れません。
 
 個人的にクロ・リュセを訪れて本当に良かったのは、シャルル8世が妃のアンヌ・ド・ブルターニュのために設けたミニ礼拝堂があったことと、フランソワ1世の姉で「エプタメロン」の作者、マルグリット・ド・ナヴァル(マルグリット・ド・ヴァロワ)の部屋があったこと。二人とも、知性と教養に優れ、揺るぎない信仰に支えられていた点で共通しています。シャルル8世もルイ12世も世継ぎが育ちませんでしたが、ルイ12世とアンヌ・ド・ブルターニュの長女クロードはフランソワ1世の最初の妻となり、二人の王子を儲けています。
http://www.vinci-closluce.com/fr
 
 
# by cheznono | 2016-05-22 07:19 | フランスの城と歴史

パリの憂鬱

パリの憂鬱_b0041912_20253247.jpg ニースから満席のTGVでパリに戻り、リヨン駅のタクシー乗り場に向かうと長蛇の列。15分以上待ってやっと自分の番が来たので、モンマルトルにお願いと言うと、ちょっとイヤな顔をされました。最低でも25ユーロはかかる距離なので、おかしいなと思ったけど、ドライバーは私のホテルの住所をスマホのナビに入力して走り出したから一安心、と思ったのもつかの間。
 しばらくして、「マダム、実は僕、18時にヌイイー・シュル・セーヌ(お金持ちの住むパリ郊外)でお客さんと約束があるんです。空港まで送らないといけないんですよ。」時、すでに17時半近く。「今から18区までは遠過ぎるから、バスティーユ広場で他のタクシーに乗り換えてくれませんか?」とおっしゃる。
そんな、じゃあなぜさっきリヨン駅に並んだの?重いキャリーケース2つの私はなるべく乗り降りしたくないのに。「普通お客さんはシャンゼリゼ方面にと頼むことが多いのに、モンマルトルとは想定外。ヌイイーとは全然方向違うし。」そりゃあ、シャンゼリゼならヌイイーに行く途中だけど、タクシーが駅前に並んだ以上、お客がそう上手く自分の希望する地域に行くと思うなんて、おかしくないですか?と、文句は言ったものの、車の中でイヤな展開になってもまずいし。。
 かくてバスティーユで降ろされた私はそれでも約10ユーロを請求され、広場で客待ちをしていたタクシーに乗り換えた。今度は強面のドライバーさん、リヨン駅で乗ったのにここで降ろされ、運賃も払ったとなげく私に同情して親切で、荷物代もおまけしてくれたから、救われた思いです。
 
 無事ホテルに到着し、夕飯はいつもの中華テイクアウトへ。私の担当の女性はテキパキとチャーハンを温め、野菜炒めとエビ巻きなどを用意している間、先に会計を済まして待っていること5分。会計の若い中国女性が、私の前のフランス女性に結構大きな袋を渡して、メルシーと言って見送ったので、その女性が注文した量にしては袋が大きいなと思ってたら、案の定、私の注文担当の女性が「違う、あの袋はこの人のよ!」らしき中国語を叫んで、くだんのフランス女性を追いかけ、店を飛び出して行きました。
けれど、なかなか戻らない。お腹をすかした私が途方に暮れているところへ、やっと、でも手ぶらで帰って来た担当の女性。あいにくフランス女性はどこかに消えてしまったらしく、「すみません、もう一度用意しますから」と言って、私の分を再度取り分け、チンしてから渡してくれました。しかし、手早くすませたいテイクアウトだったのに、30分近くお店にいるはめに。
 間違って私の注文品を渡されたフランス女性は少ししか頼まなかったわけだから、大きな袋をもらって変だなと感じたはずなのに、ラッキーと思って素早く帰ってしまったのでしょうか?

 パリに戻った途端、次々トラブルにあうなんて、ついてない、と思っていると、翌日はモノプリで万引きを目撃。カンヌで主演男優賞を獲得したヴァンサン・ランドンの話題のドキュメンタリー風フィクションでは、大型スーパーでの万引きを監視する様子がつぶさに描写されているのですが。。
# by cheznono | 2015-05-31 20:27 | 不思議の国フランス

ロワール:アンボワーズ城_b0041912_362511.jpg
 
 フランソワ1世が気に入っていたお城の一つアンボワーズ城は、ルネッサンス期に何人もの王族を迎えてその最盛期を迎えます。
城館向かいのチャペル、聖ユベール礼拝堂にはレオナルド・ダ・ヴィンチがお墓が。ダ・ヴィンチが与えられた住まいは、アンボワーズ城近くのル・クロ・リュセです。
 フランソワ1世の孫の時代に、城内でプロテスタント信者がたくさん殺されてしまった事件があったため、アンボワーズは血塗られた城というイメージが拭えませんが、町は中世の残り香が濃くて、なかなか素敵でした。

 ランジェ城でアンヌ・ド・ブルターニュと半ば強引に結婚したシャルル8世は、このアンボワーズで生まれ、同じ城で亡くなった珍しい王様です。イタリア遠征でイタリア文化に影響を受けたシャルル8世は、この城にイタリアから多くの文化人を呼び寄せたとか。同じくイタリア文化に魅せられたフランソワ1世の先駆者だったと言えるかも知れません。
 けれど、シャルル8世は一番おばかな死に方をしたフランス王として紹介されることが多い不名誉な王様。アンボワーズの地下で当時の人気スポーツ、ジュー・ド・ポーム(テニスの前身と言われる)を楽しんだ際、ひどく気がせったシャルル8世は、うっかり地下の低い門に頭を強打してしまい、死の床に。あえなく、28歳の生涯を終えます。
 ブルターニュ公女アンヌを自分の婚約者の父親マクシミリアン1世と離婚させ、自分はその娘と婚約解消して、アンヌ・ド・ブルターニュと結婚した報いだったのでしょうか?

 夫婦仲は良かったというシャルル8世とアンヌとの間には嫡子が育たなかったため、アンヌは亡き夫の従兄弟ルイ12世と再婚。ルイ12世はシャルル8世の姉で足にハンディキャップのあるジャンヌという王妃がいたのに、結婚20年余りにしてジャンヌの身体的問題で夫婦関係はなかったとローマ教皇に申し立ててなんとか結婚無効を取り付け、晴れてアンヌと結婚するのでした。

行き方:トウールからの路線バスが一番安い。国鉄アンボワーズ駅からは約1㎞。
# by cheznono | 2015-05-24 03:07 | フランスの城と歴史